子供の頃のように

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USA6 アパートに引越す前までの事2

通っていたELSの校舎は、大学の広くて余裕のあるキャンパスの中にある古い木造の二階建ての建物でした。

床下が高くて、アプローチの道から幅の広い木の階段を何段階か上がると、ポーチがあります。

上から見ると細長い建物の長い方の辺が正面になっています。ポーチはその正面の長い辺ほとんどいっぱいくらいの幅でした。

雪が消えて春になると、そのポーチに置いてあるベンチやポーチの手摺などに、授業の無い生徒たちが腰かけていました。

 

やはり木の大きな両開きのドアを抜けて建物に入ると、少し暗いロビーがあり、さらに奥には木造の階段が途中の踊り場まで見えました。

床は当然木製です。その床を歩く足音が、けっこうクラシックで、映画などで見るアメリカらしい古い建物でした。

 

実はキャンパスを離れても、街中には木々の中に、こんな感じの木造住宅や、古い石造りの建物が建ってました。そんな街並みです。

 

 

英語学習の経過

引越す前だと、レベル5、6あたりの授業だったと思います。

 

アメリカに来て、2か月3か月経過していくと、外国人に慣れます。

そして、英語で受け答えする事に慣れます。

これ、単なる慣れに過ぎません。

決して英語が上達した訳では無いと思いますが、日常の事をこなすのは、何とかなるようになります。

 

そして、さすがにELS、英語を教えるのはプロですね。

英語の授業の時に、日本の辞書の使用はダメよと言われていたので、お言葉に甘えて辞書を使いません。わからない言葉は、基本的にアメリカの辞書を引かなければなりませんが、面倒くさいので、先生に聞きました。

英語を英語で説明してくれるのですが、先生なんですねえ、分かり易かったです。

これが良かったような気がします。

 

ぼくは、コンポジション好きでした。作文。

最初に、文章の書き方を教えてもらいます。

日本の国語の授業とは違い、情緒的なものではなく、客観的に作文の技術的なことを教えてくれました。

構造は三分割。

イントロ、ボディ、コンクルージョン

そして各段落の目的をはっきりさせるとか。

いろいろあったと思いますが、中身は簡単な事です。

日本の国語の授業でも、序破急とか、起承転結とか教わりましたが、こんな風に客観的に教わった訳ではありませんでした。

 

アパート探し

 

ぼくが引越しをする前に、日本人生徒のSさんは、やはり日本人のKさんと、2ベッドルームのアパートに引っ越し、共同生活を始めました。

覗いてみると、寝床はベッドのクッションを床に直置き。これ、他の日本人の大学生の住んでいるところを見ても、皆さんそうしていました。

Kさんに聞くと、最近は家具付きのアパートは割に少なくなっており、家具はサルベーション・アーミーなどで中古のものを買えば良いとの事。

また、肝心の電気炊飯器は、勉強を終えて帰国する日本人学生が使っていたのを譲ってもらえば良いと言います。

当時、クリーブランドにはオオムラさんという日本人の店があり、そこに行けばコメ、醤油、その他必要なものがあると聞きました。

 

さて、アパート探し。

どうやって探したのでしょうか。実はよく憶えてません。

他のアラブや南米の連中も、寮を出てアパートに移り出していました。

彼らのアパートも見せてもらいましたが、かなり豪華なところです。

これ、気がついてみると、日本人以外の留学生は、お金持ちの子供なんですね。油断していると、家にヘリポートがあるなんて平気で言ったりします。

ま、彼らのアパートは参考になりませんが、アパート情報は新聞に書いてあるなんて教えてもらったりしました。

また、誰かと共同で部屋を借りるのならば、大学の食堂などに掲示板があり、そこにルームメイト募集も貼り出してあります。

 

2つ3つ見て回りました。

ルームメイト募集のところも覗きました。ロースクールの学生のところに行くと、穏やかに頬みながら、実は女の子のルームメイトを探していると言われ、あはは、頑張ってねと言って帰りました。

 

条件は、学校に歩いて通えること。

結構な距離でも、歩ける程度の所が希望でした。

これ、失敗でした。

結局、後で車を持つ事になりましたが、最初から車に乗る事前提で、広い範囲を探せば良かった。

 

大学の前にメイフィールドという東西の道が、ダウンタウンから走っています。

ユニバーシティサークルという角で、メイフィールド通りから南の方に向かって登る坂道があります。

この坂道の途中にリトルイタリーがあります。イタリア人街ですね。美味しいピザもありました。

坂道を登りきると、道は東西方向に変ります。

ここまで結構な距離ですが、通学可能な範囲でした。

ケニルワースという地域です。

坂道の角の近くに古いアパートがありました。

ストゥーディオ(スタジオ)というワンルームマンションに毛の生えたようなタイプの部屋が空いているという情報を読んで、管理人に電話かけて、見に行きました。

 

石造りの古い建物で、部屋もパッとしなかったのですが、壁に跳ね上げ式のベッドが付いてました。

クローゼットも本当にウォークイン、小部屋で、荷物も全部しまえます。

寝床を買わずに住むからというのが一番大きな理由だったと思います。

そこに決めました。

 

このアパートの一番の問題は、地名。

ケニルワースという地名は、どう頑張っても、他人に通じません。

発音というかアクセントが難しいんです。

思い切り頭にアクセントを置いて、クヌルワースと言えば、通じる事がありますが、基本的にこの地名の発音は諦めました。

 

必要なものは、シーツ、枕、ブランケット。

入居前に買おうと思い、バスに乗ってダウンタウンのデパートに行きました。

買った物を大きな袋に入れて、アパートに持ち込もうとバスを探します。

ここで、地名の言いにくさに困りました。

何番のバスに乗るのか人に聞いても、地名が通じません。

仕方ないので、見当でバスに乗ると、確かにアパートの前を通ります。しかし、降りる合図の紐を引っ張ってもバスは止まりません。

どうやら、郊外まではノンストップみたいです。

仕方ないので、最初に止まる所で降りました。

ここがどこか分かりません。

夕方です。薄暗くなりかけてます。

 

とにかく方向の検討をつけて歩き出しました。

ヤバイなと感じてました。

家の前に出てきたおばちゃんが、この時間、ここを歩かない方が良いと言います。

そんなこと言われても、どうしようもありません。

すると、バスが角を曲がってくるのが見えます。

止めました。

バスを止めて、乗り込み、運転手の黒人の女性に、アパートは諦めて、大学へ行きたいと言いました。

彼女は、ちょっと考えて、「If I were you」と文法通りの言い方で、大学への行き方を説明して、そのバスの路線の中の適当な所で降ろしてくれました。

彼女の言った通りにバスを乗り換えて、寮まで戻りました。

もう暗くなってました。

 

この経緯で、車を手に入れる決意をしました。

街は歩いてはいけないのです。

 

 

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