子供の頃のように

自由と幸せ。好きなように散歩したり、本を読んだり、気ままな生活の日記です。twitter始めました。@edaywalk

疑惑の審判。急に相撲が面白く無くなった。栃ノ心と朝乃山の取り組みの物言いのことだけど。

ちょっと、ぼく、立ち直れません。

ああ、もうダメ。

 

あれだけ何回もビデオ見せられて、栃ノ心の踵は着いてないように思ったし、

解説の高砂大ちゃん、しかも朝乃山の師匠も、踵は着いてないみたいと言ってたけれど、

 

あんなに長い審判員の相談時間をとって、

栃ノ心の踵が先に出ていたと言うのなら、

やはり拡大してスロー再生のビデオをテレビ中継画面には、出すべきでしょうね。

なんか疑惑の審判。

 

あれだけ物言いの相談が長引いたのは、納得しない他の審判員を益荒男が説得するのに時間が掛かったという事なんでしょうか。

 

 

トランプが千秋楽に来て、最後の3番だけ見て、トランプ杯を渡すっていうんですよ。

ぼくは、外人力士に対して公平に応援してきました。

そのぼくでも、やはりトランプ杯は日本人がって思ってしまいました。

朝乃山。

前から感じいいなと思っているし。

 

相撲協会もそう思ったんでしょうか?

八角も。

 

まあ、益荒男は貴乃花グループの解散の際に、何でも言うことを聞きますという一冊を入れて、相撲協会に留まったという話が、本当かどうか知りませんが、まことしやかに書かれました。

貴乃花に、辞めるよう言ったのも益荒男らしいですね。

あんな判断を通すのに、他の審判説得するくらいはするでしょう、指示があれば。

 

 

貴闘力が、「相撲をスポーツとして確立させたい人間と、“いやいや興業でいいじゃないか”というおっさん連中の戦いがあった」なんて口走りましたが、確かに今日の審判員の結論聞くと、「やっぱ、そうなんだ」と思うし、なんか相撲見るのアホらしい気持ちになってきます。

 

まあ、ぼくなんか、酒飲みながら物食って、バカなこと言いながらテレビ見て楽しんでいるだけだから、そんなこと言う筋合いもありませんが。

 

あの審判の後で、「ああ、そうなら、今日は鶴竜も負けることになってるんじゃないの?」なんて口走った直後に本当にそうなっちゃって、まあ、それは本当にそうなのか知らないけど、急に力が抜けて、さっきまで寝てました。

ちょっとがっかりしちゃった。

 

思い過ごしなんだと思うように努力しているんです今は。

 

 

ぼくね、今場所は栃ノ心応援しているけど、それはせっかくジョージアから来て、大関になって、で、陥落して、なんか残念と言うかかわいそうだし、戻れよなと思うからなんです。

どうでも、栃ノ心のファンなんだという訳ではないので、結果がそうならそれで仕方ないと思うタイプなのです。

それに、だいたい遠藤に負けたあんたが悪いんだとも思っているし。

 

でもねー

 

後で、NHKのニュースででも、栃ノ心の負けだと分かる明確なビデオを見せて欲しい。

それが相撲ファンに対する協会のあって欲しい態度です。

 

あの審判員の長時間の協議内容も公開してよ。

 

そうでないと、最初に抱いた疑惑がずっと心に残ってしまう。

「フランス座」ビートたけしの昔話も面白い

ビートたけしの書いた小説って、ずいぶん昔に目にしたことがありました。

書き出しを読んで、その後を読んでいません。

 

この前、日曜日の新聞を読んでいると、本の紹介のページで「フランス座」という小説の紹介が載ってました。

今まで、口述筆記みたいな書き方が多かったけども、今度は自分で書いたみたいなことが書いてあります。

で、いつものように市立図書館のホームページで予約しました。

ちょっと待たされました。

メールが来て、取りに行き、これは最後まで読みました。

 

フランス座

フランス座

 

 

ビートたけしが漫才で売れる前に、浅草のストリップ小屋でコントをしていたというのは、有名な話です。

フランス座というのは、そのストリップ劇場の名前で、その頃の自分の体験、ほとんど実話みたいなのを書いてあります。

 

小説としたのは、芸人のリアルな話になると、ダークになりすぎるし、差し障りもあるので小説ということにしたと新聞の紹介欄には書いてありました。

 

文章は読みやすく、最初からすんなり入って行きました。

ちょっとたけしのネタっぽい書き方のところもありますが、するって最後まで読み通せます。

 

大学に行きたくなくなり、授業をサボって新宿でウロウロしていて、やがて浅草に流れて、フランス座のエレベーターボーイのアルバイトを始めたところから始まります。

ある日、深海千三郎というコメディアンが、こんな所でエレベーターボーイしているのは芸人になりたいからだろうと誤解して、それからたけしの芸人人生が始まります。

そしてツービートを結成して、その後売れない時代を語り、そして小説はさっさと終わります。

なんか最後は、ちょっと物足らない気もします。

 

ラスト前5行目には、漫才ブームまではまだ数年かかる、と。

次の行には、そして短いブームが過ぎた頃、と書かれてます。

この行間で、漫才ブームは過ぎてます。

 

最後の3行は、師匠がテレビには出なかったこと、精神病院に入った仲間の芸人がどうなったのか、今も知らないと、ひどくあっさり終わっています。

 

淡々と、売れる前の若い頃を振り返っている作品です。

 

薔薇はあこがれ

ジルベール・ベコーの「バラはあこがれ」って曲が、どういうわけか日本語歌詞で頭に残っているんです。

 バラはあこがれ、バラはあこがれ、バラは僕たちの夢

 

福井県総合グリーンセンターでバラ展 5月19日

福井は晴天、風が強い日です。

我が家から10kmほど離れたところにある福井県総合グリーンセンターへ行ってきました。

バラ展というのをやっているのです。

 

福井県坂井市丸岡町楽間15

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広さは20ヘクタール、千種類、7万5千本の樹木が植栽されています。

入場無料。

 

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室内でバラ展。

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バラ展で無くても、外に咲いているバラもきれいですよ。


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街中のバラたち

散歩の途中で見つけたバラ。ちょうどそこの奥さんが表にいたので、写真撮らしてもらいました。

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よその家もバラが多いですね。

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バラ屋敷は6、7分咲   昨日の状況

去年もブログに出しましたバラ屋敷、今年はどうかと見に行きましたが、もう数日経てば息がつまるほど咲くと思います。

それでも撮影に来ている奥さんがた。

皆さん一眼レフです。

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栃ノ心、また明日

あんじゃダメ。

師匠が解説してるの。

3つ前の取り組みあたりから、変に緊張してるんだもん。

弟子が大好きなんだよね。

今場所の栃ノ心見てたら、あと1勝くらい楽に行けると思うんだけど。

 

大関から落ちた弟子が、あと1勝で復帰。

ああ、その1勝が、今日目の前で、自分が解説している目の前で見れるんだ。

 

顔が笑っているけど、引きつっている。

アナウンサーも、もう春日野に振らないで。

 

相手は阿炎、勝てると確信してました。

でもね、栃ノ心、なんか変だったです。

師匠が平静じゃなかったもんね。

 

汚ねえ顔で汚ねえ声、

でも、今日の春日野はカワイかった。

ぼくもつい感情移入してしまいました。

 

変な一番で、その後、大関横綱総崩れ。

 

でもね、可愛い弟子の碧山が大関に勝ったじゃないか。

明日もまた栃ノ心のチャンスは続くし。

がんばれ春日野部屋!!

 

 

あ、たまたま今場所、大関転落した栃ノ心を応援しているだけで、

弟子が大好きな栃乃和歌が、今日いじらしいと思っただけで、

特に春日野部屋のファンではありません、ぼくは。

福井県というところ7 北陸街道、そしてついでに毛矢侍

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これは、非常に良い加減な福井市の中心部の地図です。

 

福井城址が示されていますが、昔は、この城はもっと大きかったし、濠ももっとありました。

足羽川は天然の川ですが、福井城の外濠の役割を果たしていました。

 

昔、赤い線の橋だけしか無かった

で、足羽川にかかる橋ですが、ここに名前が書かれた橋のうち、幸橋、桜橋は、江戸時代には存在しませんでした。

赤い線が通っている「九十九橋(つくもばし)」という橋だけは存在してました。

 

 

北陸街道

国道8号線は北陸街道とは少し違う

地図には、旧 8号線(フェニックス通り)という道路が示されています。

別に「旧」って書かなくても良いのですが、もっと東に8号線のバイパスが通っているので、「旧」と付けてみました。

南北に走る、街にとっては中心的な通りなので、市街部分を「フェニックス通り」と呼んでいます。

この「フェニックス」は樹木の名前ではありません。

「不死鳥」という意味です。

空襲の後に、福井大地震があって、壊滅状態から不死鳥のように、また街が出来たということから、「不死鳥」は福井市のシンボルでなので、この通りに「フェニックス通」という名前を付けたのです。

 

国道8号線は、京都の方から、琵琶湖の東岸、彦根米原、長浜、県内に入って敦賀、武生(越前市)、鯖江を通って福井に入ります。そして北上して石川県に入っていきます。

 

昔、同じようなルートを通る「北陸街道」という街道がありました。

近江の方から峠を越えて、県内(藩内)の今庄を通り、福井に向かって北上し、さらに北上して新潟の直江津の辺りまで通じていたそうです。

 

橋が無いから迂回する北陸街道

ただ、福井の街の中でも北陸街道と8号線は、ちょっと違ってました。

8号線が通る「幸橋」が、当時無かったのです。

城の近くに直接行けてしまうので、橋があると具合が悪いのです。

 

で、赤い線が北陸街道なのです。

 

九十九橋を渡って、北上する道は、今は「呉服町」という割合細い道です。

ぼくが小さい時には「呉服町商店街」でした。

 

九十九橋ってのは、こんなふうです

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今の北陸街道 (北国街道)    呉服町通り

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北陸街道というのが気になったのは、呉服町通りの中に表示してあるこの看板です。

ある日みつけました。


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呉服町通りの中には、「北国街道」の表示がちょっとずつあります。

 

北国街道(北陸街道)は、この呉服町通りを北に行き、今で言う「松本通り」を東に曲がり、だいぶ行ってから北上して石川を目指します。

そして、いつのまにか8号線と一致するのです。

 

福井市街にお城があるので、それを迂回する都合があるので、街中は変に遠回りすることになります。

 

 

昔は、関西方面、近江方面から福井、石川、新潟を目指す人は、みんなこの北陸街道を通ったのです。

 

京都から逃げてきて、吉崎に御坊を開いた蓮如さんも、何回か福井にやってきた坂本龍馬も、みなさんこの街道を歩いたんですね。

 

 

毛矢侍

福井の殿様、9代松平宗昌は、松岡藩主だったけど、福井藩主になったって、この前書きましたよね。

 

松岡ってのは、福井市からちょっと東に行ったところにある町です。

今は平成の大合併で、「永平寺町」となってます。

 

さて、宗昌が、福井藩主になるにあたって、松岡藩は無くなり、福井藩に吸収されました。

もともと1つの藩だったのを4代藩主光道の時に松岡藩というのを分離しただけなので、元に戻ったのですね。

 

で、松岡藩に勤めていた侍たちも、宗昌について福井に入ってきました。

しかしながら、お城の近くには、空きが無く、家を作れません。

 

ということで、足羽川の向こう、南側に松岡から来た侍たちが住みました。

川の向こう、ちょっと外ですね。

 

その辺りは、毛矢と呼ばれる地域でした。

今でも毛矢という地名はあります。

冒頭の地図を見て下さい。

 

で、毛矢に住む侍ということで、松岡から来た侍たちを「毛矢侍」と呼んだらしいです。

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幸橋南詰から南に向かって。

 

城の防衛の都合上、橋が作れませんので、この侍たちは舟で川を渡ったらしいです。

櫂でこぐのではなく、川の上に綱を張って、それを手繰って向こう岸に行ったそうです。

 

 

なんで毛矢侍の話をしたかと言えば

明治維新の直前、福井に三岡八郎という男がいました。

この人、毛矢侍。

 

で、その頃、福井に横井小楠という変な人、学者かな、が熊本から招かれていました。

どうも酒を飲むと、よろしく無かった人なのですが、なかなか優秀な学者。

で、さっき言った三岡八郎というのが、この横井小楠から学んでいたのです。

ま、小楠も彼が気に入っていたみたいです。

 

さて、北陸街道を通って坂本龍馬が何回か福井を訪れました。松平春嶽に会いに来たのです。

 

ある夜、横井小楠坂本龍馬に、面白い男と酒を飲もうと言って、足羽川を舟で渡って三岡八郎(後の由利 公正(ゆり きみまさ(こうせい))のところに行き、酒を飲んだと言う話です。

 

この話を読んだ時に、横井小楠が小舟の櫂をギッチラギッチラ漕いで、川を渡るイメージがぼくの頭に浮かびました。前に坂本龍馬を乗せているの。

で、南岸で三岡八郎が、その舟を見つめて待っている。

 

しかし、その後で、渡した綱を手繰って舟が行くんだと知って、ちょっとがっかりしたんです。

 

こんな話を書きたくて、後半付け足しました。

 

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相撲観戦、ビールからね

今朝の新聞記事

たいがい地方紙は、地元のニュース以外は全国の地方紙と共通の記事を載せています。

大相撲の記事もそうです。

 

今朝の貴景勝に関する記事、タイトルは「来場所の回復未知数」「短命大関の懸念も」。

来場所の初日まで1ヶ月半、短期間の回復は未知数で、昇進2場所で陥落の危機が忍び寄ってきた。

膝は厄介だ。

大関は22歳にして早くも正念場を迎えた。

って内容。

 

このタイミングで、そういう記事を書くの?

まあ、新聞記者の一人の考えじゃなくて、やはり相撲協会からの、そういうことでしょう。

 

 

相撲ファンの素朴な応援

話は変わるけど、昨日中入り後の土俵入りを見てた時に、ある力士を見て、同じくらいの身長の他の力士がすごく調子いいのだけども、その力士は3勝5敗、その日の取り組み相手も同じ星。

今日は勝たないと、一方が調子が良くて脚光を浴び、人気もすごいから、心が歪んでしまうんじゃないのかと家内が心配してました。

八角みたいになってしまう」

 

それはいけないので、その後応援してやったら勝ちました。

今日は、負けたみたいだけど。

 

 

今日の取り組み

琴恵光、勝ち越しおめでとう

ところで、今日は琴恵光勝ち越しましたね。

上がってきて初めての勝ち越しだって。

ちょっと、うるっときました。

良かったです。

 

栃ノ心、あと一勝

明日できまるかな。

 

しかし、御嶽海、あんたも応援してるけど、冒頭に紹介した新聞記事、22歳の大関を、「もう、だめ」みたいに書いてるけど、あんた26歳で振り出しに戻ってるんだから、ちゃんとがんばってよ。

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福井県というところ6 歴史篇 江戸時代の殿様たち2

はい、この前の続きです。

 

知行石高の表示については、資料により違いがあります。理由はぼくにはわかりません。学者によって考えがいろいろあるんでしょう。目安として捉えておいて下さい。

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9代 松平宗昌   松岡藩吸収

個人情報

松岡藩主 松平昌勝の三男。

2代松岡藩主となっていたが、弟の8代福井藩主 吉邦が後継の男子無いまま亡くなったので、その跡を継いで福井藩主となりました。

これに伴い、松岡藩は福井藩に吸収。合計30万石となりました。

 

出来事など

宗昌にも後継の子がおらず、藩内の跡目争いの再発を避けるため、幕府が松平宗矩(むねのり)と養子縁組させました。

宗矩は、初代藩主秀康の五男の系統。

 

 

10代 松平宗矩(むねのり)    名君

個人情報

初代藩主の秀康(徳川家康の次男)の五男 姫路藩主 松平直基の孫である陸奥白河新田藩主 松平知清の次男として生まれました。

ややこしい書き方ですが、とにかく福井藩主の血統だということです。

幕府のはからいで、先代の宗昌の養子となりました。

正室は、8代藩主吉邦の一人娘です。

この辺り、なかなか穏やかでしょ。

 

出来事など

倹約に励み、その一方で困窮者を救ったり、善政をしき、名君と言われています。

福井藩内の天領全てを預けられました。

しかし、跡継ぎの子がおらず、御三卿のひとつ一橋家から養子を迎えます。

 

 

11代 松平重昌    若く亡くなる

個人情報

暴れん坊将軍 8代徳川吉宗の四男 徳川宗尹(むねただ)の長男として一橋家に生まれます。

10代藩主 宗矩の養子となります。

ただ、藩主となったのは6歳、亡くなったのは16歳くらいでした。

 

出来事など

先代の宗矩の時に福井の天領の全てが預けられたてのは、宗矩が名君だったせいなのか、跡継ぎに重昌を入れたので結納的な意味合いでなされたのか。

実際に政治はしないまま亡くなりました。

 

 

12代  松平重富    贅沢三昧  財政更に悪化

個人情報

一橋家  徳川宗尹の三男。

兄の重昌が亡くなったので、死後ですが養子縁組を行い、福井藩主になりました。

 

出来事など

藩士の給料カットを主体とした財政再建を行いました。

しかし、本人は贅沢三昧。

また、大雪や飢饉などの災害により、財政はさらに悪化。

幕府から補助金もらったりできたのは、将軍家との親戚関係があったからです。

バカ殿の割には、在位は一番長かったのでした。

 

 

13代 松平治好(はるよし)  贅沢三昧  財政悪化

個人情報

先代の重富の長男。

11代将軍の徳川家斉の娘浅姫と縁組、2万石を加増して32万石となる。

 

出来事など

贅沢の限りを尽くし、藩財政はさらに悪化。

 

 

14代  松平斉承(なりつぐ) 贅沢三昧  財政更に悪化

個人情報

先代の治好の三男。

 

出来事など

御殿建設など、やはり贅沢三昧で、財政さらに悪化。

実子は全て亡くなり、11代将軍の徳川家斉の子を養子にする。

 

 

15代 松平斉善(なりさわ) 若く亡くなる

個人情報

11代将軍 徳川家斉の22男。

先代松平斉承の養子となる。

 

出来事など

19歳で亡くなったので、実質藩政は行なっていない。

跡継ぎいないし、本来は断絶のはずだが(こんなのけっこうあったでしょ)、他家へ養子に出ることになっていた田安家(御三卿)の慶永(よしなが)を養子にして、家を継続させる。

 

 

16代 松平慶永(よしなが)号は「春嶽」

個人情報

田安徳川家第3代当主・徳川斉匡(なりまさ)の八男。

先代藩主 松平斉善の養子。ちょっとインチキですが。

この人が、幕末から明治維新にかけての主役の一人、松平春嶽です。

 

バカ殿が続いて、ああもうダメというところに登場してきますから、歴史の神様もなかなか味なことをされますね。

正室は、熊本藩主 細川斉護の娘 勇姫です。

奥さんの出は、熊本から横井小楠を招いたこととつながってきます。

 

出来事など

ここでは書きません。そのうち単独で書きます。

でもね、よく見ると、この人変な人です。その変なところにぼくは目が行ってしまいました。

 

とにかく周りから期待されて、幕末、そして明治になっても国政の表舞台に何回も引っ張り出されるのですが、何回も「やーめた」ってケツをまくってます。

 

この人が「主役」の一人だと認識しているのは、ぼくが福井に住んでいるからかもしれません。

やはり、「竜馬が行く」とか「翔ぶが如く」とか、有名な小説を書いてもらったり、大河ドラマの主役にならないと、知名度が上がりませんからね。

生れながらの貴公子というのがドラマになりにくいのかな。

 

安政の大獄の際に、隠居させられています。

 

 

17代 松平茂昭(もちあき) これが最後の藩主です

個人情報

糸魚川藩の藩主の四男。

そして糸魚川藩主になってました。

糸魚川って4代藩主光道の出奔した息子 権蔵、後の松平直堅が藩祖となった藩でしたよね。

 

安政の大獄で隠居させられた春嶽の跡を継がさせられました。

 

出来事など

藩主になっても、春嶽はいるし、うるさそうな家臣はいるしで、実権を握って藩政を行うというわけにはいかなかったようです。