子供の頃のように

自由と幸せ。好きなように散歩したり、本を読んだり、気ままな生活の日記です。twitter始めました。@edaywalk

甲子園面白かった

ああ、高校野球終わりましたね。

わが家でも、金足農業の吉田くんの歯は、何故あんなに白いのかという疑問および論争が沸き起こりましたが、インタネットのおかげで、あれはマウスピースだと判り、おだやかな気持ちで決勝戦を観戦することが出来ました。

 

ぼくは吉田くんと、大阪桐蔭の根尾くんが気に入ってしまい、最後にその両者の対決となり、この前のサッカーWPでのベルギーとフランスの対決が準決勝になったのと比べて、なんという組み合わせの妙だと喜んでいました。

 

しかし、吉田くん、もっと早く交代してあげて欲しかった。

たくさん投げ続けてきて、疲れています。

交代して外野で使うんなら、6点取られたところで交代させてくれよ。

 

でも大阪桐蔭良かったね。おめでとう。

USA18 2度目のニューヨーク

ピンクレディとジャズフェス

 

79年はかなり特別な年でした。

 

まず、タイムズスクエアに立って、上を見上げます。

テレビなどでここの光景をご覧になっている方は多いかと思いますが、そう、ビルの上の方に大きな看板があります。ビルボード

ぼくらが上を見上げた時のタイムズスクエアには、巨大なピンクレディが微笑んでしたのです。

ピンクレディがアメリカ進出をしたとは聞いていましたが、まさか、こんな看板が出ているなんて思ってもいませんでした。

 

あ、ピンクレディって、あの「UFO」とか「渚のシンドバッド」とか、数々のヒットを飛ばした、ミーちゃんとケイちゃんのピンクレディです。

ラクラしました。

アメリカ征服という言葉が閃きましたねえ。あのビルボード

まあ、その後は、皆さんご存知の通りですが・・・

 

 

それと、もう一つは、ニューポートジャズフェスティバル。

ぼくらがニューヨークに乗り込んだ時に、まさにフェスティバルが始まりました。

そして、この年のフェスティバルで、我らが山下洋輔トリオが、アメリカに初上陸したのでした。

 

ぼくは、ジャズフェスティバルについては、全く頭に無かったのですが、街でパンフを手に入れ、読んでいるうちに山下洋輔トリオの名前を発見しました。

ピンクレディより興奮しました。

 

観光とRくんとの別れ

他の二人は、初めてのニューヨークなので、通常の観光ルートを回ります。

ぼくもついて行きました。ガイドですね。

今度は、自由の女神も、2人には登らせましたが、ぼくは下で待っていました。

 

あっちこっちと回っているうちにRくんの出発の日が来ました。

確か、駅に送りに行ったように思います。

 

立ち食いピザ

すぐに気に入ったのは、立ち食いソバのようなたたずまいのピザ屋でした。

 

ニューヨークの立ち食いソバ風のピザ屋は、ピザを切り分けたピースで売ってくれるのです。

プレーンのチーズだけのピザ。

けっこう美味しかったです。

 

ニューポートジャズフェスティバル

さあ、ジャズフェスティバル。

街中のいろんなホールで、いろんなコンサートが、同時多発で開かれます。

いくつか行きましたが、ガトー・バルビエリソニー・ロリンスがジョイントで行った、カーネギーホールでのミッドナイトコンサートが素晴らしかったです。

 

ちなみに2人とも有名なテナーサックス奏者です。

そして、ロリンスは偉大な音楽家です。

トークショーに出たのをテレビで見たことがありますが、彼の登場の時には、他の出演者は立ち上がってお迎えしてました。

 

カーネギーホールは、案外小さなホールでした。すり鉢状に座席が壁に向かって上がっていくのですが、その角度が急なのです。

ミッドナイトコンサートと言うのは、文字通り夜中の0時から開始されました。

 

貫禄からいって、始めにガトーでロリンスが後という順番を当たり前に予測してましたが、いきなりステージの上に背の高い黒人のおっさんが一人で突っ立っていました。

服装はラフなもので、ステージに立つより、街中でうろうろしている方が似合いそうな感じです。チューリップ帽を被ってました。

 

黒人のおっさんは、他に誰もいないステージにサックスを持って立っていました。

そんで、気楽にマウスピースを咥えて、ボーっと音を出しました。

ああ、その一音で、そのおっさんは、ただの背の高い黒人のおっさんでは無くソニー・ロリンスなのだとぼくらは分かりました。

続いて、そのサックスから出てくる音は、「おれがジャズの王様だ」と宣言しました。

次々と出てくる音は、「おれが王様だ」宣言を繰り返します。

圧倒されました。

バック無しで、ロリンスが吹きまくる中で、ドラムや他の楽器が次々にステージに上がってきて演奏に加わります。

すごかった。

そんで、ぼくは理解しました。

夜中始まるコンサートなんで、先にやってさっさと帰って寝るつもりなんだ。辛いことはお前がやれよと、ガトー・バルビエリを後に回したんだと。

 

ものすごいロリンスの演奏が終わって、ああ、ガトー可愛そうと思いました。

この音の後に、あの情けない音を出すのは辛いだろう。

 

ロリンスがさっさと引き上げて、舞台の上に別のドラムセットとパーカッションのセットが設置されます。

やはりガトーはラテン系だなと思っていると、リズム隊が登場し、チャカチャカチャカとリズムを刻み出しました。

さあ、ガトー、出てこいよ。

でも、ガトーは現れません。

仕方ないです。あのロリンスの音を散々聞かされて、すぐには出てこれないんでしょう。

 

パーカッションが、楽器から離れて、「ガトー」と舞台袖に向かって叫びます。

そして額に手をかざして、袖の方を見て、やがて何かを見つけたようにうなずいて、再びラテンのリズムが響きます。

しかし、現れません。

そんなことを何度か繰り返し、ステージに残ったロリンスの気配を完全に消し去った後に、サックスを吹きながらガトー登場。

色男!!って感じの歩き方です。

ロリンスのせいで、情けないとしか思えない音に聞こえますが、ガトーは観客の心を捕まえてました。

驚いたことに、演奏は良かったのです。ノリました、ぼくたちは。

登場時の演出の効果はバッチリ。

 

お前ら、ミッドナイトじゃなくて普通にコンサートやって、ロリンス後に出せよと思いました。

まあ、変わった人だし、こうしたいと言われれば、逆らえないんでしょうね。

ガトーの苦労に感動しました。

 

USA17 長い旅行

ELSの終了

夏には、ぼくはELSを終了してしまいました。

ま、設定としては、大学の授業を聞いて勉強出来るレベルだそうです。

ノートの取り方も教えてもらっています。

自分でも、英語はなんとかなりそうな気がしました。

ましてや、専門的なことになると、用語が馴染みのあるものが多くなるので、かえって一般的な事項よりも、英語的には易しくなります。

 

さて、目的のミッションである研修は、秋なので、まだ2ヶ月ほど先です。

どうしようか、一旦日本に帰るべきか、日本に問い合わせました。

向こうからの指示は、帰るな、研修が始まるまでアメリカにいろというものでした。

日本に帰ると、英語が退化するし、往復の飛行機代がもったいない、ということです。

 

さて、完全にロングバケーションとなりました。

 

オイルクライシス

79年は、オイルクライシスでした。

その時の日本語の言い方で、どう言うのか、ぼくは知りませんが、石油が制限された状態になりました。

 

夏頃には、ガソリンも奇数日には奇数ナンバーの車にだけ、偶数日は偶数ナンバーの車にだけ給油出来るというようになりました。

給油は二日に一日しか出来ないという事です。

 

これ長距離移動の時に、だいぶ困りますよ。

 

長い旅行の始まり

ぼくは気がすむまで旅行をしようと思いました。

気がすむまでいたい所はニューヨークシティ。

 

そして、他の日本人生徒たちは、転校の時期を迎えたようでした。

飽きるまでニューヨークに行こうかなと言っているぼくに、Mくんは一緒に行くと言います。

彼も一月近く旅行してから、デンバーあたりのELSに行くつもりだそうです。

そして、もう一人の日本人Rくんは、ボストンに転校するので、その移動のついでにニューヨークに3日ほど行きたいので、車に乗せてくれと言います。

 

ということで、ぼくたち3人は、車に乗り、ニューヨークを目指して出発しました。

 

オイルクライシスについては、簡単に考えており、奇数・偶数についても、それほど厳格に適用されないだろうと思っていました。

すごく甘かったです。

どのガソリンスタンドも、規則に忠実でした。

たった一軒だけは、商売だからと入れてくれましたが、あとは全滅。

 

エアコン切って走りました。

これ、こんなに燃費に影響するとは、初めて知りました。

もう憶えてないのですが、ガソリンを入れられない日に出発したのでしょうか?

ものすごく心配して走りました。

途中、どこかで泊まったんだろうと思うのですが、全然記憶にありません。

とにかく、もうじきマンハッタンに着くという辺りで、残りのガソリンの量を見て、ああ良かったと思ったのだけは、憶えています。

 

マンハッタンでの宿は、ホテルタフト。

安いと聞いている二軒のホテルのうちの一軒です。

今はもう無いかもしれませんが、当時は、タイムズスクエアシェラトンの並びに、古くて大きなホテルがありました。

ホテルのフロントで、ぼくとMくんの2人はチェックアウトの予定が決まっていないこと、Rくんは3日しかいないこと、その3日間はツインの部屋に予備のベッドを入れて、三人泊まること、そしてRくんは、出て行く時に彼の分だけ清算することを説明しました。

Rくんが出たら、予備のベッドはさっさと部屋から片付けてくれと言うことも頼みました。

問題なく部屋が取れたので、車をホテルに預けて、駐車場にしまってもらいました。

 

さあ、ニューヨーク。飽きるまでニューヨークです。

USA16 ナイアガラの滝

新しい日本人生徒

夏になると、新しい日本人の生徒も、何人か現れました。

この人達は、最初から、しばらくいて他所のELSに移動するつもりです。

確か、一度その街のELSに入ると、他所への転校は最低限の期間制限されたと思います。

その期間が何ヶ月間だったのかは、よく憶えてません。

 

学校で日本人の顔を見るとホッとしました。

彼らは上手に、クリーブランド近郊へ旅行していたようです。

シカゴなんかも近いので、日帰りで遊びに行ったようです。

 

その日本人の一人Mくんから、ナイアガラの滝に行こうよと、持ちかけられました。

 

ナイアガラ

ナイアガラの滝は。ご存知のようにアメリカとカナダの国境あたりにあります。

クリーブランドが面しているエリー湖の北東にオンタリオ湖があります。

このエリー湖オンタリオ湖をつないでいる河がナイアガラ川です。

ナイアガラ川の途中に川幅が太くなっている所があり、その部分の真ん中に島があります。この島のところで段差があり広大な滝となっています。

この川の真ん中にアメリカとカナダの国境があるんです。

だから、滝も島を挟んで、カナダ滝とアメリカ滝に分かれます。

 

3人だったか4人だったか記憶がおぼろげですが、ぼくの車に乗ってクリーブランドを出発して、ニューヨーク州バッファローという町に行きました。

ナイアガラの滝のそばにある町です。

ここのホリデーインかラマダインか、適当なモーテルに泊まりました。

夜、食事した後、外を散歩してたら、若いあんちゃん達の乗った車が、ブンブンとエンジンを鳴らしながら走ってきて、ぼくの横にキーッと止まり

「ナイアガラの滝は、右か左か?」と聞くのです。

ぼくらが歩いていたのは、川に向かう道で、川にぶつかるとT字路になります。そこを右に曲がるとナイアガラの滝に行きます。

ぼくは腕を上げて、右の方を指し、そしてどういう訳か「左だ」と口走ってました。

あ、違う、右だと言った時には、アンちゃんたちの車は勢い良く発車し、キューって音を立てて左に曲がっていました。

ゴメンね。

 

なんでこんな事よく憶えているんだろ。

 

瀑布見物

滝です。すごくでかい滝です。ナイアガラ瀑布です。

 

昨夜の失敗を少し悔いながら、ホテルで目覚め、右手を見ては「右」と言い聞かせて滝の見物に行きました。

穴だらけの記憶で申し訳ありませんが、ぼくたちはナイアガラ川に掛かった橋を歩いて渡りました。

パスポートをしっかり持っています。

橋の中央に、横線が描かれています。

この横線が、国境の線です。なんか漫画みたい。

橋を渡り切ると、そこはカナダ。

イミグレーションの事務所に入れられて、入獄手続きじゃなくて入国手続きをしました。

カナダ滝を見物するのです。

確か、こっちの方が良いのだったと思います。

 

実際に行かれた方もいらっしゃるでしょうし、あるいはテレビなどでご覧になっている方も多いと思います。

すごい幅です。

ものすごい広大な幅の滝です。大きすぎて滝だという気がしないくらい。

すいません、webで写真見てください。ここに貼ると、いろいろややこしそうなんで。

 

カッパを借りて近くまで行ったように思います。

とにかく見物するのは、水が落ちている下の方からです。

船に乗って滝の近くまで行ったのですが、この船の中で貸してもらったカッパと、違う色のカッパも着たような気がするのです。

まあ水しぶき。

頭から濡れました。

そういう滝の見物の仕方も初めてでした。

 

Mくん

このナイアガラの滝に一緒に行ったMくんとは、その後も一緒に旅行に行きました。

クリーブランドの中でも、遊びに出たりしました。

あ、メキシコとホンジェラスから来た女性の生徒たちと一緒にディスコに行ったこともありました。

 

メキシコから来た女の子が、ダウンタウンに看板が無いディスコがあると言うんです。

んじゃ行こうかということになり、別のメキシコの女性も加わりました。

でも、この二人だと日本人のぼくたちが負けそうなので、ホンジェラスから来た、いとこ同士のお嬢様が品が良いので中和剤として誘ったんです。

 

今思い出すと、女の子が4人で、Mくんとぼくの6人が一台の車で出かけたんだけど、あれ5人乗りの車だったんです。不思議ですね。帰りは飲酒運転だったし。

取り締まりが無かったんです。

京都府 美山 茅葺き屋根

昨日は爽やかな気候でした。

家内が以前より京丹波美山町に興味があるようなので、秋みたいな日差しの中、ドライブがてら行ってきました。

 


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いろいろ話題になっている割には、かなりしょぼい観光案内図ではありました。

 

美山町は、今は南丹市になったのですが、京都府のほぼ中央に位置しております。

800 - 900メートル級の連山に囲まれ、町の中央を由良川が流れています。

川に沿って建てられた民家の多くは、昔ながらの茅葺き民家で、日本の農村の原風景とも言うべき風情を呈していると言われています。

ここは国の重要伝統的建造物群保存地区です。

 

 

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山なのに景色が開けている。

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写真では、うまく伝わらないと思いますが。

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ダムがあったりします。

 

雪が深いのでしょうか、合掌造りの屋根がすごく高い民家がけっこうあります。

それが藁葺きでは無く、金属板で葺いてあったりします。

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あ、この家は、美山では無く、福井県の名田庄村の写真です。

美山には茅葺き屋根の家の、スポットがありますが、そこをパスしたので、帰り道で写真撮りました。

 

USA15 旅行 ワシントンD.C.

せっかくアメリカにいるんだし、せっかく車があるんだし、と言うことで、レベルのクラスが終了して、次のレベルの授業が始まるまでの間の休みを利用して、いろいろな所に旅行しました。

 

AAA(トリプルA)

車を持った時に、AAA(トリプルA)に加入しました。

これ、日本で言えば、JAFです。

入っていれば、何かと安心ですし、カーナビが無かった時代でしたから、AAAの事務所に行って

「ワシントンDCへ旅行に行こうと思ってます」などと言えば、地図をくれるのです。何種類か。

普通の地図。

スパイラルノートのように綴じられて、目的地までどんどんめくっていけば、ハイウェイ図が確認できるロードマップ。

目的地の市街地図。

そして、その地図広げて、窓口担当の人が、マーカーで通る道を塗っていってくれるのです。

すごいサービスでしょ。

あと、目的地のホテルの一覧や、ガイドブックみたいな本もくれます。

全部タダ。会費で賄われるんです。

 

ワシントンD.C.経由でデラウェア

デラウェア州のある場所に行く用事がありました。

首都のワシントンからさらに東に行った半島部分です。

ですから、途中ワシントンD.C.を通ります。

何時に出発したのか憶えてませんが、ペンシルバニアを通り、一人で延々と車を走らせ、ワシントンD.C.に入った時は暗くなっていました。

 

ワシントンD.C.の街は、一方通行になっているところがあり、記憶がおぼろげですが、街の中心地を巻いてグルンと回っている大きな道も一通で、どこで曲がれば良いのかよく分からなくなるし、方向も分からなくなるんです。

訪問が初めての日本人だからという事だけで無いと思います。アメリカ人に聞いても、「ワシントンD.C.の道はトリッキーだ」と言うんです。

つまり、道に迷いました。

 

暗いし、疲れてました。

どこかに泊まろうと思うのですが、困りました。

ちょうど、スーツを着た黒人男性が、自分の車に乗り込むのが見えたので、その人の所に行って、今どこにいるのか、市街図を広げて聞きました。

ついでに、どこかホテルに行きたいのだがとも聞きました。

その人は、今いるところを地図の上に指差し、教えてくれ、自分の車について来るように言い、ラマダ・インまで案内してくれました。

感謝です。

 

翌日、ホテルを出て、非常に長い距離を運転して、目的地にたどり着きました。

で、帰りに、再びワシントンD.C.に入ったのですが、また迷いました。

今度は、車を停めてくつろいでいたパトカーを捕まえて、助けてもらいました。

首都の観光もできましたが、どうも苦手な場所になってしまいました。

 

 

 

 

理稀ちゃん良かったね

あの尾畠春夫さんすごい。

子供が行方不明と知って、大分から車でやってきて、一人で警察とは違うところを探して30分で見つけるなんて、まるでジャック・リーチャー だね。

ほんと凄い。プロ。

 

 

 

 

この人、以前も子供を救ったんだって。

警察は、このじいちゃんに教えを請うて、こういう捜査の際のノウハウを整理してマニュアル作ってよ。ちゃんと教えてもらって欲しい。

 

うちでは夫婦で餃子包みながら、国民栄誉賞を与えて欲しい、いやその賞はちょっとなので、内閣総理大臣特別勲章とか、あるいは、ずっと行ってきたボランティアの実績にも着目して、陛下から何か、その、一つ、平成の間に、などと話していました。

 

やはり、日本は専門家を尊重しないからダメだね。

専門家大事にしよう。

 

専門家尊重しないから、森さんが大きな顔で好きなこと言ったりします。

原発だって親玉の言いなりになって安全だなんて言ってしまうし、挙句に原発を無くそうなんて極端なことを言い出す人も出てきます。

そうだ、東北の大地震の時も、変な総理大臣がおれは東工大卒業だからって、訳の分からないことを言うから混乱した。

 

スペシャリストよりゼネラリストという社会は、正しい知識や意見よりも、ボスの考えが優先されてしまいますよ。