寮には、雪が溶けて春になるまでいました。
何月だったのか、思い出そうとしているのですが、思い出せません。
寮を出る直前までのことを書きます。
寮の住み心地
ぼくのいた寮は、ELSの生徒の外国人ばかりが入っていました。
4階建だったか5階建だったか、不確かですが、一番上の階は女性専用でした。
各フロアにシャワー室とトイレが、それぞれいくつか並んでました。
フロアに一箇所、電気のレンジと流し、冷蔵庫があって、料理しようと思えば出来るようになっていました。
部屋は2人部屋です。
ベッドと机、壁掛けの本棚、大きな作り付けのクローゼットが、それぞれ2人分ずつありました。
地下にはランドリールームがありました。コインランドリーですね。
一階にリネン室があって、ベッドのシーツや枕カバーを週に一度取り替えに行きました。
という感じで、まあ決して居心地が悪い訳ではありません。
ある夜、ぼくの住んでいるフロアの料理可能コーナー、一応、キッチンと呼びましょうか、で、アラブ人の生徒が、大きなズン胴鍋で何かを作ってました。
匂いは、なにやら覚えのあるものです。
何作っているの?
彼は、鍋の蓋を開けてくれました。
鶏の腿がトマトと一緒に、そしてその下にトマトで赤くなったご飯が見えます。
炊き込みのチキンライス。
彼は、にっこり笑って、食べようよと誘ってくれます。
それ、ライスだろ?
違う、クスクス。
クスクスって何だ?米じゃないのか。おれは米が食いたい。
クスクスは、小麦粉から出来ているらしい。
ぼくは、泣き崩れました。嘘です。
ご飯だと思ってしまったので、ショックが大きかったです。
という事で、皆さんすごく優しいのですが、ご飯が食べたいという要求が強くなり、自炊するために寮を出てアパートに移ろうと決意したのです。
引っ越しについては後日ということで。
自動車運転免許証
日本人も、前回書いたTとS以外に、どこらからトランスファーしてきたのか、Kもいました。
Kもアメリカが長いのか、いろんなことを知っていました。
話しているうちに、日本でもらってきた国際免許が使いづらいという話になりました。まず、でかい。いつも持って歩くにはデカすぎる。
そして、日本語が書いてある。もちろん英語で書いてあるのですが、結構日本語書いてあります。
これ、田舎の警官が見ると、すぐに免許証だと分からなくて面倒くさいと言うのです。
それに、毎日パスポート持って歩くのも面倒なので、他にちゃんとしたIDが欲しいです。
ということで、免許証。現地の免許証。オハイオ州の免許証を取ったらいいということに。
どうやったのか思い出せませんが、交通法規の教科書を手に入れました。日本の自動車学校でもらうやつと同じような感じです。
それを勉強しました。
もっとも、内容は交通法規みたいなのが主で、全部きちんと読まなくても、日本のを下敷きにして、ある程度想像で正解が出そうなものです。
で、運転免許の試験を受けに行きます。
実技は、日本で免許証を持って運転していたので、問題ありません。こっちは、あの縦列駐車とかクランクとかS字カーブはありません。
ただ、試験を受けるための車は、自分で持ってくるのです!!
車は、クリーブランドに来た時に迎えにきてくれて、いろいろお世話になっているN氏の車をお借りしました。
ぼくは国際免許がありますから、試験場まで車を運転してきましたが、他の人はどうするんでしょうか?この時だけ無免許でも許されるのか?そんなハズ無いですよね。
今でも不思議なんですよ。
試験は問題なく受かりました。実技もペーパーも。
アメリカではポートレイト写真は、少し斜めを向いて撮ります。免許証用の写真もそうです。
ぼくも少し斜めを向いて撮ってもらいました。正面からのものより好きです。
出来上がった免許証は、日本のものよりも、ほんの少し小さく、ちょっとですが安物くさかった。
でも、州が発行したものですから、この免許証はパスポートに匹敵するIDとして威力を発揮してくれました。
大きなアイスクリームの玉
ああ、そうだ。
寮の建物の前に森みたいな土地があり、その木々の間に木造の小さな建物がありました。
その建物には看板があり、まだ不慣れなぼくにも、31アイスクリームの店だとわかりました。
どのフレーバーにしようか、注文どうしようと考える前に、ぼくは店に入って、ピーカンナッツのアイスクリームを注文しました。
店員の女の子は、ものすごく体格が良く、太い腕で、スクープと言うのですか?あのアイスクリームをすくう道具を握りしめ、ぐっと力強くアイスクリームを掘るようにしてすくい、コーンに乗せてくれました。
すごく多かった。
日本で買う時のアイスクリームの玉の5割り増し以上の大きさの玉が乗ってました。
アメリカ好きです。