ぼくが着いた時、クリーブランドは冬でした。
寮に入った時に、ルームメイトのエルナンが、閉めた窓の向こうに紐でぶら下げてあるビニール袋を手繰り寄せて、「冷蔵庫に入れておきたい物は、窓の外にぶら下げれば良い」と教えてくれました。
窓の外は、冷蔵庫の中よりも冷たかったのです。
クリーブランドは、五大湖の一つエリー湖のほとりにあります。湖の向こうはカナダ。
冬は寒いです。すごく。
雪も積もってました。
カナダから冷たい風が、凍った(本当かよ)エリー湖の上を通って吹いてきます。強烈に冷たい風です。
街を歩いていると顔が痛くなります。零下の風が顔を撫でていきますから。
しかし部屋の中は、がんがんに暖房が効いてました。
室内は薄着。
雪の振り方もハンパ無かったです。キャンパスの中をクロスカントリーのスキーを履いて移動する学生がいました。
これちょっと特殊ですが。
建物が、古いものが多く
ネットで検索して上の写真を貼り付けました。これらはクリーブランドのケース大学の画像です。
こんな古めかしい建物が、雪をまとって灰色の空の下に建っているんです。割合、陰気ですよ。
スキーなど
それでも、学校は夜のスキーなんて企画を提供してくれて、申し込んだ生徒たちをバスに乗せて連れて行ってくれました。
ブランデーワインというすごい名称のスキー場です。ナイター設備ありです。
靴やスキーは貸してくれます。
ぼくは雪国育ちのくせに、子供の時は、ゴム長に固定するベルトの付いたスキーを履いて、雪のスロープと化した河原の土手を真っ直ぐに滑り降りて遊んだだけで、ちゃんとしたスキー場に行ったことがありませんでした。
社会人になってから、スキー場に行き、ボーゲンだけ覚えました。
ということで、ぼくはブランデーワインのスキー場をボーゲンで何回も滑って楽しみました。
一緒に行った他の生徒たちも、国の環境的にスキーは初めてという人たちがいて、キャッキャと無邪気に楽しんでいました。
みんなで子供に戻ってました。
冬の季節の楽しい思い出です。
冬の間のあれこれ
ルームメイトのエルナンは、寝る時間くらいになると、小さな鍋でジャガイモを粉吹き芋にして食べてました。体が丸みを帯びているのはそういう訳でした。
ぼくがレベル1を終えて、編入試験を受けた頃、エルナンはELSを終了して、寮を出て行きました。
代わりに、これまた出寮間際のドミニカ出身のジョージがしばらく入り、その後、ベネズエラのハビエルが入りました。
ジョージは白人でした。彼らなりの人種偏見みたいなのがあり、どうしてもアラブ人と一緒にいるのは嫌で、エルナンが出る時に頼んで、日本人のぼくのルームメイトになりました。
アラブ人も白人種なので人種偏見ではなく、民族的偏見と言うべきですね。
結局、連中の間でのやり取りで、ぼくのルームメイトは、ぼくが寮を出るまで南米勢だったです。
食事は、食券だったのかパスだったのか憶えてませんが、大きな食堂で食べていました。カウンターにトレイを持って列を作り、食事を取って、適当なテーブルで食べるやつです。
大学生もここで食べてました。
デザートは、大きなバットの中にケーキが入っていて、それを自分で好きなだけ切り取って食べるのですが、身震いするほど甘かったのが、「ああアメリカ」と実感させてくれました。
クリーブランドは、日本人が少なく、それはぼくにとっては良かったです。
でもELSに二人が日本人がいました。TとS。2人とも社会人経由で、ぼくと同じような年齢でした。
Tは、よその街のELSにいて、2ヶ月ほど前にクリーブランドに転校してきたらしいです。アメリカにも英語にもだいぶ慣れていました。冬の終わる頃、日本に帰って行きました。
Sは、ぼくの1週間ほど前にクリーブランドに来て、ここが最初のアメリカでした。ぼくと同程度の英語。空手黒帯。
TとSとは、よく一緒にいましたが、人数が少ないので日本人社会を形成も出来ず、英語に慣れることの妨げにはなりませんでした。
日本から必要な現金を送金してもらうために、銀行口座を開かなければならないのですが、Tが銀行の支店の場所やら、口座の種類、どうすれば良いのかを教えてくれたので、口座開設が出来ました。
この頃ですね、街を歩いていて、子供が英語で喋っているのを聞いて、「ガキのくせに英語なんか喋りやがって」と腹が立ってきたのは。
ホント、英語での生活はものすごくストレスでした。