綿矢りさの作品を読んだのは今回が初めてなんです。
「綿矢りささん」と書くと、画面上に「さ」が二つ並んで読みにくい気がするので、申し訳ありせんが敬称略と言うことで、ひとつ、ご理解の程を。
ぼくは知ってましたよ、前からずっと、綿矢りさ。
一緒に芥川賞をもらったもう一人の金髪が目についちゃったこともあり、作品は読んで無いのですけども、「蹴りたい背中」ってのは素敵なタイトルだなって思ってました。
あ、もう一人の金髪が目についたのですけども、彼女の作品もまだ読んだことがありません。
ついでに言うと、ぼくは「綿矢」と言う名字を「めんや」と読んでました。
なんでそんな読み方をしたのでしょうか。重箱読みなのに。
「めん」と読むなら、次は「や」ではなく「し」でなければおかしいですね。でも「めんし」では名前とは思いにくいです。
「わたや」と読むのが当たり前ですよね。なんで「めんや」だと思ったのか、我ながら不思議です。
さ、それで「パッキパキ北京」の話です。
ちなみに「パッキパキ」てのは、冬の北京がすごく寒いので川面が凍ってパッキパキだから、パッキパキの北京ということなんだと思います。
で、この本は、北京を訪れた紀行エッセイ小説なんです。
最後の「小説」てのを削除しても、ジャンルとしては当然成立するんですけどね、やはり小説家としては小説を書かないと満足できないのでしょうか。
小説家の性ってやつですか。あ「性」は「さが」と読んでください。
やはり俳優と同じで、違うキャラを演じる、あるいは描かずにはいられないのでしょうね、小説家は。
小説の登場人物は作者のどこか一部を拡大したものだと言われてますから、他人を描くんじゃなくて、自分の一部である自分でない人物を描くんだってことなんでしょね。
主人公の菖蒲は、元銀座のホステスで、歳の離れた旦那と結婚しています。恋というよりも就職といった感覚の強い結婚なのかな。
旦那はバツイチ。別れた奥さんのところに子供達がいます。
だから菖蒲は、子供を作らなくても良いんじゃない、というスタンスです。
セックスはちゃんとしていると書いてありますけど。
この旦那、北京に赴任して働いています。
菖蒲は日本で、躾に失敗した犬と共に生活していました。
しかし旦那から、北京で一緒に暮らすようにと連絡が来ました。
こうして菖蒲は、新型コロナ騒動の終盤近くの北京に行きます。
旦那は、この異国に適応障害になっているんです。
それでも一所懸命働いています。
旦那が昼間、職場で働いている時に、菖蒲は中国語もわからないのに、北京の街を歩き回ります。
ということで北京の紀行エッセイのような話が展開されるのです。
ぼくは主人公の設定、小説の始めの頃にしっかり見せつけられるキャラクターを読んで、ちょっとありがちな気がして、読むモチベーションが下がったのですが、読み進める中で、面白い気がしてきて、最後まで読みました。
面白かったですよ。
作者は、この主人公のキャラで書きたかったのでしょう。なんとなく楽しんで書いているような気がしました。
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