子供の頃のように

自由と幸せ。好きなように散歩したり、本を読んだり、気ままな生活の日記です。twitter始めました。@edaywalk

アジアにおけるイギリスの振る舞い 日本が江戸時代の頃

中国編 ヤクザのようなやり口

アヘン戦争

お茶とか絹とか陶磁器ってのが欲しかったんです、イギリスは。仕入れてヨーロッパで売ると儲かるんですもん。

で、例によって東インド会社の利益だけを追求するイギリスは、清と貿易がしたかった。

しかし、中国ってのは昔から商売としての貿易はしないんです。清の政府は直接貿易はしません。

貢物を持ってくる国があるので、お返しに良いものを授けるってやつです。

 

で、ヨーロッパの商人と交易ができるのは、清政府から特許を受けた商人(公行っていうらしいです)だけでした。

イギリス東インド会社は、この公行を通じて、広東地方の役所に請願書を提出して商売が認められます。

面倒ですね。イギリス東インド会社は、広東以外の港でも自由に貿易がしたいと思ってました。

 

それと、中国から仕入れる商品はとても人気があって、持って帰るとよく売れるのですが、逆にイギリスから中国に輸出する商品はあまり無くて、イギリスとしては貿易赤字が大きくなります。

連中、銀も欲しかったんです。

なんか人気商品を中国に売りつけて、代金を銀でたくさん欲しい。

あ、アヘンはクセになるから、売れるんじゃないか、とイギリス人は気がつきます。

アヘンならインドで製造していて、この販売も東インド会社に権利があります。

それに、アヘンだったら表沙汰にせずにこっそり売り買いするのが普通だし、中国の商人たちも儲かるから役所に届けずにこっそり買ってくれます。

 

ということで、イギリスはアヘンを中国にバンバン売りつけたのです。

あのね、アヘンと言えば麻薬です。それって、大概の国で違法なんです。

当然、中国でも禁止。取り締まりの対象です。

清の真面目に仕事する役人の林さんて人が、外国商人たちにアヘンを中国に持ち込むなと指示し、誓約書も取ったのですが、イギリス商人は言うことを聞かず、アヘンを売り続けます。

で、担当役人の林さんは、これらイギリス商人たちから1400トンを超えるアヘンを没収し、これを薬剤で中和して廃棄しました。

これ当たり前の行動でしょ。

 

ところが、イギリス政府はこれに文句をつけます。

ヤクザです。完全にヤクザの振る舞い。

で、1840年から2年間、戦争になりました。アヘン戦争です。

これは、さすがにイギリス国内でも「まずいんちゃう?」という真っ当な意見もあったようですが、議会では戦争に賛成という決議になりました。儲かれば、なんでもいいじゃん。もともと海賊に頼った国ですから、そうなるんでしょうか。

結果、イギリスの勝利。

中国で港が解放されて、自由貿易制になり、香港もイギリスが取っちゃった。その他多額の賠償金も。

で、アヘンの取引は禁止されないので、イギリスの儲け放題。

 

習近平の腹の中には「人権とか言うな、お前らが」って気持ちがあるかもしれませんね。香港だって、ヤクザみたいなやり方で取って行ったんだから、返してもらうのが当たり前だし、中国国内のやり方で統治して当然だなんて思っていても仕方ないかも。

 

ま、とにかく、このままアヘンをイギリスから買わされると、清国内の銀が減ってしまうので、清は国内でアヘンの製造を始めます。

で、イギリスへの銀の流出を止めるのです。すごい発想でしょ。まあ、アヘン中毒者がすごく増えたんですけどもね。

それに、イギリスの綿製品は、中国の綿製品を駆逐できず、こっちの儲けも手にできませんでした。

 

アロー号事件

戦争に勝っても、まだ不満が残っているイギリスは、新たなイチャモンのネタを見つけます。

やはり中国人には、イギリス人をはじめとする外国人への不満や憎しみなんぞが発生します。これに対してのイギリス人の不満もありますし、もっとあこぎに儲けたいという欲もイギリスにはあるのです。

 

いいネタというのは、アロー号という海賊船的な中国船があって、これを清の官憲が取り調べて中国人乗組員12名を拘束、うち3名を海賊の容疑で逮捕しました。1856年のことです。

これに対して、イギリスは、アロー号はイギリス船籍の船で、この取調べの時に、イギリス国旗が清の官憲によって降ろされ、それはイギリスに対する侮辱だと文句を付けたのです。

実際には、この取り調べの時点では、アロー号はイギリス船籍では無く、イギリスの国旗を掲げる権利も無く、イギリス国旗は掲揚されてませんでした。

 

事実なんてどうでもいいのでしょうか、とにかくこれをネタにイギリスは戦争を始めます。

都合のいい戦争なんでしょうか、フランスも一枚乗りました。

1860年にイギリスフランス連合軍は北京を征服しました。

で、九龍半島をイギリスは手に入れたり、まあやりたい放題だと思ってください。

ひどいのは、中国人の海外渡航を認めさせたことです。これ、観光旅行のためではありません。安くこき使うための中国人を国外に連れ出すためです。

 

まあ、ヤクザに目をつけられると怖いですね。

 

 

 

インド編

イギリスは、国じゃなくてイギリス東インド会社という会社が、インドの植民地化を進めました。

こいつらの目的は、インドの資源を吸い上げて、産業革命で生産性の向上したイギリスの製品(主に綿製品)をインドに買わせるという、実に欲の皮のツッパったものでした。

無茶苦茶したんです。インド人なんかどうでも良いから、とにかく自分らが儲かればいいということなんです。

 

インドにだって綿製品はあるんです。

そこに、イギリスの物を買えよ、ほら品質だって良いし、いくらでも生産できるんだからさ。なんて言いながらイギリスの連中が買わせるものだから、インドの産業はダメになりますよね。

そこにもってきて、新しい土地保有制度を実施したりするもんだから、落ちぶれる地主たちも出てきます。

前までは、金持ちだったのに、一気に貧乏人になった人もいます。

挙句に、極端な物価高になっているのに、インド人に支払う給料は安いままです。

当然、やられているインドの方にも不満と反発が膨れてきます。

 

1857年に大きな反乱が起きます。インドの側から言えば独立戦争です。

しかし、イギリスは新式の射程距離の長い、正確に撃てる銃を使ったりして圧倒します。

捕虜にした反乱軍兵士を大砲の砲口に縛り付けて、砲弾を発射して体を木っ端微塵にしてしまうようなひどいことも行いました。

結局、反乱は失敗。

イギリスは、東インド会社では無くて、直接インドを統治することにして、1877年には、ヴィクトリア女王がインドの皇帝となりました。

 

 

 

その頃日本では 江戸時代

アヘン戦争の頃って、日本では天保の改革なんてことが行われてました。

水野忠邦が賄賂を使って出世して、自分の地位が上がって賄賂をもらう方になり、ウハウハ言いながら、庶民には節約を命じてた頃です。

 

ペリーの黒船は1853年に来ました。

 

イギリスとフランスは、虎視眈々と日本を狙い、アメリカが南北戦争で忙しい間に、当時の政局に食い込んでいってました。