ヘイスティング大尉と言えば、エルキュール・ポアロ。
シャーロック・ホームズとワトソン医師みたいなものです。
ぼくは中学生の時にアガサ・クリスティーの作品を全部読んだ・・・つもりでした。
しかし、すでに過去読んだ本の内容を忘れてしまっているのか、あるいはいくつかの長編とたくさんの短編を読んだだけで、全ての作品を読んだわけでは無かったのか、記憶に無い作品も結構あるのです。
そして、アガサ・クリスティの安定性というか盤石さは、皆さんよくご存知の通りなのですが、罰当たりなぼくは「本格推理物」に対して、どうも良からぬ的外れの不満を抱いていて、高校生となって以降、本格推理小説を手に取ることがほとんど無くなってしまったのです。
当然、推理小説の女王アガサ・クリスティを振り返ることはありませんでした。
しかし、よそ様の読書ブログのおかげで、再びアガサ・クリスティに目を向けようという気になりました。
ということで、冒頭の話に戻りますが、おそらくイギリスBBC制作のポアロのシリーズのせいだと思うのですが、ポアロ物には、必ず語り部としてのヘイスティングが登場しているような気になっていました。
しかし、よく考えると、オリエント急行にはヘイスティングは乗ってなかったし、ナイル河の船にもヘイスティングはいなかったような気がします。そうだ、青列車の乗客でもありません。
いくつかの作品に登場しただけなのですね。
ま、とにかく「スタイルズ荘の怪事件」には、ヘイスティングスは登場し、ポアロの名推理をレポートしてくれています。
で、この「スタイルズ荘の怪事件」は、なんと、推理小説の女王アガサ・クリスティーのデビュー作で、ということは名探偵エルキュール・ポアロの、そして語り部のヘイスティングスのデビューなのであります。
インフルエンザに罹って療養中のアガサが、ベッドで読む小説が無くなったと母親に訴えると、「そんなら、あなた自分で書きなさい」と言われて小説を書きだしたというエピソードが、本編の前にアガサ・クリスティーの孫によって紹介されているのも、なかなか興味深いです。
内容の紹介
さて、この作品は1920年に書かれています。
第1時世界大戦は、1914年から始まり1918年11月まで繰り広げられました。
この作品が書かれたのは、第一次世界大戦の直後ということを認識しておいて下さい。
語り部であるヘイスティングスは、傷病兵として前線から本国に送還され、軍の保養所で数ヶ月療養して、1ヶ月の傷病休暇を与えられ、さあどうして過ごそうかと思案している時に、以前から知り合いのジョン・カヴェンディッシュに出会い、彼と彼の家族の住んでいるスタイルズ荘に誘われて、そこで休暇を過ごすことになりました。
だから、彼が怪我をした戦争は、第一次世界大戦です。
そして、スタイルズ荘で、ヘイスティングスを誘ったジョン・カヴェンディッシュの母親エミリー・イングルソープが不審な死を遂げてしまいました。
実は母親は亡くなった父親の後添えでジョンとは義理の関係なのですが、息子と母親の姓が違っているのは、最近母親が再婚したからです。
財産家で最近再婚したばかりの年のいった母親の死というものは、彼女の新たな夫の存在と、めぼしい財産は母親が持っている息子たちという状況を考えると、殺人事件の臭いがしますよね。
ましてや死ぬ瞬間を目撃した毒薬の専門家として有名なバウアスタイン博士が「毒殺じゃね?」と言い出し、検死に来たウィルキンズ医師と相談して司法解剖にかけることになるのですから、これは事件ですねえ。
ヘイスティングスは、以前大陸にいた時、ベルギーで変な刑事と知り合ってます。
背が低い変な男なのですが、めっぽう頭が切れる男、名前はポアロと言いました。
ポアロなら、こんな事件で頼りになるなあと思っていたら、なんとスタイルズ荘の近くで、変な小男とばったり出会します。
「モナミ」とヘイスティングスに呼びかけ、抱きついてきたその変な男は、なんとエルキュール・ポアロだったのです。
はい、ここで再び第一次世界大戦ということを思い出しましょう。
戦火に追われ、ベルギーから難民がイギリスにも逃げてきていました。
亡くなったジョンの母親、エミリー・イングルソープは慈善事業に熱心で、ベルギーからの難民のグループの一つをスタイルズ荘の近くのコテージに受け入れて世話をしていました。
そのベルギー人の一人がポアロだったのです。
ヘイスティングスから事件のことを聞き、ポアロは、自分の恩人を殺したこの怪事件の犯人を必ず捕まえることを決意するのです。
ということで、事件の謎解きが始まります。
スタイルズ荘の主人エミリーは、財産家で、この辺りの旦那さんなんです。屋敷にメイドたちや庭師たち、エミリー・イングルソープの雑用係で話し相手で友人の女性や、新しい夫となった秘書、そして長男のジョンと彼の美しい妻、弟のローレンス、さらに身寄りの無くなったエミリーの旧友の娘シンシアも引き取って面倒を見ていました。
怪事件の舞台となるに十分な屋敷と住人たちでしょ。
ネタバレになると困るので、これ以上詳しいことは書きません。
とにかく、この屋敷の主人エミリー・イングルソープの死については大いに謎があり、さらにその死の前後に起こった事柄も謎だらけなのです。
とてもデビュー作だとは思えないほど安定感があり、謎と謎解きが複雑で面白いのです。
登場人物同士の関係と感情の交錯、恋愛などもしっかり描かれています。
本筋とは直接関係ないような謎もちゃんと用意されており、これまたちゃんと謎解きされてます。
すげえです。
最初から、堂々としたミステリーの女王なのです、アガサ・クリスティーは。
こっちの話
年をとりました、ぼくは。
カタカナで書かれた複雑な名前についていくのは辛いです。
すーっと読んでいくと、謎解きがすんなり入ってきません。
だいたい、ポアロが会話の中にフランス語を混ぜ込んでくるので、人の名前が認識しずらいです。
例えば、殺された被害者、エミリー・イングルソープは、場合によってミセス・イングルソープ、あるいは奥様という表示になりますし、彼女の新しい夫はアルフレッド・イングルソープとか、ミスター・イングルソープ。
正直、このミセス、ミスターの表示が、かえって分かりやすいので助かるのは事実ですけども。
ミセス・イングルソープの雑用係で友人であるエヴリン・ハワードは、時々ミス・ハワードと表示されるので、登場人物一覧を参照して確かめる必要がありました。エヴァという表示もあったような気がします。
さらにジョン・カヴェンディッシュの美しい妻は、メアリー・カヴェンディッシュ。メアリーとエミリーもちょっとややこしいし、こっちもミセス・カヴェンディッシュと表示されることが多く、カヴェンディッシュとイングルソープを識別するのに疲れます。
でもって、エミリー・イングルソープの世話を受けている彼女の旧友の美しい娘シンシア・マードックに至っては、シンシア、ミス・マードック、さらにはマドマゼル・シンシアとか、気を抜いて読んでいると混乱しがちでした。
女性の前に「美しい」という単語を書きましたが、語り部のヘイスティングスは、この時30そこそこで独身です。綺麗な女性に目がいくし、その時は頭の中がお花畑になっています。
正直、彼の見当はずれの推理も含めて、ヘイスティングスは相当バカに描かれてます。
こんな男だったっけ?と、ちょっと嫌気がさすほどの時もありました。
読むのが疲れるし、謎解きの前振りについていかなければならないし、毒薬の話もそこそこ難しいので、ぼくはノートつけながらこの作品を読み終えました。
謎が何層かになっています。
殺人事件本体の謎、殺人とは関係ない謎、証拠に関する謎。
よくもまあ、ご丁寧に複雑に作り、それを上手に解いていくものです。
ぼくはチャンドラーの長編がいくつかの短編を組み合わして作られていることを思い出しました。
実際どうなのか知りませんが、アガサ・クリスティーも、もしかしていくつかの短編で作った謎、トリックを組み合わしたりしているのかな、なんてしなくてもいい空想をしてました。