子供の頃のように

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江戸末期に、幕臣の小栗忠順がアメリカへ行くことになった事情

日米和親条約

黒船のペリーさんは、開港の要求に対して、すぐには返事がもらえなさそうなので「来年また来るから、それまでに返事考えといてね」と言い残して日本を去ります。

で、香港で時間潰しをしました。

 

しかし、その間にペリーさん側というかアメリカの事情がちょいと変わったのです。

まず、大統領選挙があって、ペリーを派遣した共和党フィルモア政権が敗れてしまったのです。民主党のピアスさんが新しい大統領になりました。

そんで海軍長官も代わりました。

ペリーさんは、日本に対して強面で接してます。強硬というか強引というか、そういうペリーさんに対してアメリカ国内で批判が出ています。

でもって、ロシアとかイギリス、フランスもペリーの強引なやり方に文句があります。

 

ぐずぐずしてると、自分が本国から抑え込まれてしまうかもと考えたペリーさんは、アメリカ本国からなんか指示がきて動けなくなってしまう前に、行動を起こしてしまうことにします。

ということで、早めに日本を再訪したのです。

江戸湾を勝手に進出してきて、品川沖で威嚇の空砲を17発もぶちかまします。

 

なお、この時、芝の浜御殿の警備役の中に、28歳の小栗忠順おぐり ただまさ)がいて、その目で異国の軍事力を見せつけられていました。

 

幕府は仕方なく、ペリーたちの横浜上陸を認め、

通商はダメだけど、下田と函館で、捕鯨船などの薪、水、食料の補給や、病人の保護、そして外交官の下田駐在を受け入れる旨の「日米和親条約」を締結します。

この時、幕府を仕切っていたのは、老中の阿部正弘です。

 

さて、黒船対応で、いろいろ幕府批判はありますが、この時点ではよく知らないことも多かったのです。

阿部正弘は、ペリーがアメリカを出発した頃に、「来るために出発した」という情報は、イギリスとか他の国から聞かされてました。それなりに予習はしたと思いますが、あの時点でこれより優れた対応ができる人、あるいは機関、組織、ガバメントがあったとは思われません。

 

大体、他の侍というか藩は「攘夷」なんて言ってたんですから。

攘夷って外国人をやっつける、外国と武力対抗するってことですし、現代のぼくらが考えると「開国」てのが当たり前の方針で、「攘夷」ってダメでしょうって思うんでけどね。

 

このあたり、コロナ対策について客観的なエビデンスも考えも持たずに、ただイメージだけで「コロナ無策」とこき下ろし、菅さんが総裁選に出ないと言い出して、そんでしばらくして「あれ、コロナ収まってるけど、なんで?」と間抜けなことを言っているぼくらと同じですね。

 

 

日米修好通商条約

和親条約により、アメリカからハリス総領事が下田に駐在することになりました。

で、このハリスさん、日本との通商条約を結ぼうと、幕府に働きかけます。

決め手は、隣の中国の有様です。イギリスひどい、酷すぎるってハリスさんが吹き込むのです。

日本は、あらかじめアヘンの輸入禁止条項を含む友好的な通商条約をアメリカと結んでおいた方が良いですよ。アメリカは侵略なんてしませんから。で、一つこういう条約を結んでおけば、他の国と対する時も、これがたたき台になるし。

さすがに、アヘン戦争からアロー号事件に至るまでのイギリスの狼藉を知れば、そして日本の軍事力というか軍備がかなり見劣りするのも事実だし、こりゃあハリスさんの言う通りかな。

 

と言うことで、幕府は日米の通商条約を結ぼうと決めます。

でも、朝廷はこれを許しません。京都にたむろしてた長州藩とか自分達の地位を守りたい公家たちが攘夷だって言うんです。

と言うことで、外交担当の老中の堀田さんは辞任に追い込まれます。

 

で、いよいよ井伊直弼の登場となります。

大老となった井伊直弼は、朝廷の許可を得ないまま1858年に日米修好通商条約を結んでしまいます。

 

日米修好通商条約の主な中身は、

  1. 外交官の常駐
  2. 神奈川、長崎、函館、新潟、兵庫の開港
  3. 領事裁判権アメリカに認める
  4. 民間の自由貿易
  5. 江戸大阪の開市
  6. 関税率は両国で協議する
  7. 貨幣は同種同量で交換する
  8. アメリカが他の国よりも優遇的扱いを受ける
  9. アヘン輸入の禁止

と言うような物です。関税自主権がなかったり、領事裁判権を認めたのでアメリカ人の犯罪者を日本が裁けないとか、不平等条約ではあるんです。

でも、アヘン輸入の禁止が入っているところが、ちょっと可愛いでしょ。

 

そして、今回ここが大事なんですが、この条約の中に、条約批准書の交換をワシントンで行うと言う一文が入っていたのです。

幕府は、条約締結前から、アメリカの政治や社会を実地に見聞し、日本の将来に役立てたいと考えてました。で、ハリスさんも「そりゃ良いですね」と歓迎しちゃった。

と言うことで、日本から代表団がアメリカに渡ることになったのです。

 

当初は、やはり偉いさんが代表として渡米する予定でしたが、この頃ご存知のように日本国内はぐちゃぐちゃで政争とかいろいろあって、行く予定の偉いさんたちは次々と失脚左遷。

という事情で、これからの人たちってことで、新見豊後守39歳、村垣淡路守47歳、そして小栗忠順34歳の三人がアメリカに行くことになったのです。

小栗忠順は、目付という役で渡米します。そして彼は、井伊直弼からアメリカのドル通貨の実質価値を詳しく調査せよと指示されます。

やはり日本の小判との交換比率の妥当性の確認がしたかったのでしょう。

 

こういうのって、幕末と明治維新を舞台としたテレビドラマから受けていた江戸末期の幕府のイメージと、ちょっと違うでしょ。

あのあたりの歴史って、幕府を倒した新政府、薩摩長州の都合が良いように語られてますから。

 

 

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