70代の真実

70代年金生活者の生活と思ってること、その他思がけないことも

アラモの戦いから黒船来襲まで、ちょっとだけアメリカの状況を。日本は江戸時代。

アラモ砦ってご存知ですか?

元々は砦じゃなくて伝道所だったらしいのですが、このアラモてのはテキサスのサンアントニオにありました。

当時は、テキサスはアメリカの州ではなく、メキシコの一部だったのです。

「当時」っていつ?

アラモの戦いが起こったのは1836年です。

 

メキシコ領だったテキサスにアングロサクソン系の住人が増えてきて、彼らはメキシコからの独立を画策してました。

そう、独立国としてのテキサスを目指したのです。

メキシコ系テキサス住民てのも独立を目指したらしいですが。

で、200人ほどのテキサス分離独立派(メキシコから見たら反乱軍)とメキシコ共和国軍との間で戦闘が起こりました。

 

デイビー・クロケットという英雄が有名(だとぼくは認識してるのです)ですが、彼も、この分離独立派に共鳴しテネシー州から加勢に駆けつけました。

この話、映画にもなっていて、ジョン・ウェインがデイビー・クロケットの役を演じました。

メキシコ軍は、アラモに立て篭もった分離独立派の10倍近くの軍勢で攻めて、最後、独立派は全員戦死しています。

 

メキシコからの独立運動は、この後も強まり、テキサスは分離独立することになりました。

さらに、テキサスはアメリカに併合されます。

 

ということで、メキシコとアメリカ合衆国との関係は緊張を高め、1846年から1848年にかけてアメリカとメキシコは戦争をしました。

この戦争はアメリカの勝利で終わり、メキシコにテキサスを諦めさせ、さらにカリフォルニアを150万ドルで買い取りました。

 

という経緯で、アメリカ合衆国は太平洋側で、サンフランシスコとサンディエゴの港が使えるようになり、太平洋・アジア方面に商圏を広げることができるようになりました。

当時はイギリスがアジアの支配を強めていましたが、アメリカがアジアに行くのに太平洋を渡って行けるようになったのです。

アメリカからの一番近いアジアは、日本ですね。ここの港に自由に入れるようになれば、アメリカはバッチリです。

 

それと、当時は皆さん捕鯨をしていました。

鯨は、全身使えて、とても役に立つのです。とりわけ鯨油は、灯油、機械の潤滑油、石鹸、洗剤などに使えて、重要な資源でした。

大きな工場にも照明は必要ですし、大西洋の鯨を捕り尽くし、南太平洋で乱獲し、日本付近にまでアメリカの捕鯨船は迫ってきてました。

アメリカは、これら捕鯨船の補給基地、避難場所、保護のためにも日本の港を開けてもらいたかったのです。

以前より、アメリカの船が難破して日本人に助けてもらったことがあり、その際に日本人や日本文化の程度の良さがわかっていて、国交を結ぶに十分な文明国だという認識があったようです。

 

 

ということで、1853年7月8日(嘉永6年6月3日)にマシュー・ペリーフィルモア大統領の信書を携えて、黒船で日本を訪れました。