子供の頃のように

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滅びにいたるまでの江戸幕府 明治維新3

ほんの少し時間を巻き戻して、薩長同盟

この1で、京都で長州があんまりやりたい放題してたので、薩摩藩などが武力を持って長州を京都から追い出したと書きました。

変な尊皇攘夷派の公家と連んで、インチキの勅旨を出したり、そんでまた京都の色街ででかい顔してたんですよ。

1863年の8月18日にやったから、八月十八日の政変なんて呼ばれてます。

 

その翌年、1864年に長州勢は再び京都に戻って来ようとしたので、薩摩藩などがこれを追い返しました。禁門の変とか蛤御門の変とか呼ばれてます。

このあたりまでは、長州と薩摩は敵対していました。

この時の薩摩軍を率いていたのが西郷隆盛です。

 

ところでみなさん、勝海舟って人をご存知でしょ。

幕府の役人で、咸臨丸を操縦して太平洋を横断してアメリカに行ったりした人。幕府海軍の中心人物で、坂本龍馬の親分です。

 

この勝海舟が、西郷隆盛に興味を持ちました。

禁門の変の翌月、8月に、坂本龍馬西郷隆盛のところに行かせました。どんなやつなのか見てこいと言うことです。

龍馬は戻ってきて「西郷は馬鹿だ」と言います。

「西郷ってのは、よくわからん奴だ。少し叩けば少し響き、大きく叩けば大きく響く。もし馬鹿なら大きな馬鹿で、もし利口なら大きな利口だ」とだけ言って、黙ってしまったということです。

それで勝海舟はますます興味を持って、今度は自分で西郷に会いにいきます。

1864年の9月11日です。

 

その時に勝海舟は、「幕府はもうダメだから、これからは共和政治(雄藩の連合政治)を行うべきで、そのためには、ここで長州を叩くべきではない」と言います。

幕臣ですよ、勝海舟は。

さすがに西郷隆盛も驚きます。

幕府や薩摩藩など、みんなで長州を征伐に行こうと言っている時にですよ。

「ひどく惚れ申し候」と西郷は、幼馴染の大久保利通への手紙に書きました。

 

まあ、坂本龍馬薩長の仲を取り持ったということですが、やはり勝海舟の影響が大きかったんですね。

と言うことで、薩摩と長州は同盟を結びます。

 

ただ、勝海舟は倒幕を唆した訳ではなく、幕府と雄藩との連合政治を目指してたのでしょう。

勝海舟については、後でまた。

 

 

大政奉還の後に時間を進めます 王政復古

大政奉還徳川慶喜のやりようを見て、「これはあかん」と倒幕派はクーデターを画策します。

 

まず、薩摩、土佐、越前、尾張、芸州が議決して、明治天皇から「王政復古」の大号令を発せられました。

連合合議制の新政府の体制です。

 

なお、上記に越前とか尾張とかの徳川(松平)一族が入ってますが、これらは公武合体派で、新しい政治体制を目指しているけど倒幕派ではありません。さっき勝海舟が言ったような共和政治を目指す勢力です。

 

ところが薩摩藩は、その後の会議で土佐や越前の反対を押し切って、徳川慶喜の官職辞任と領地の返還を決定してしまうのです。

 

徳川慶喜は、倒幕派の狙いを察知して、京都の二条城から大阪城に移動します。

そして、外国の公使たちを大阪城に呼び、自分が日本の統治者であると宣言し、諸外国からの日本の内政への不干渉を要求しました。

この処置は正しいですね。不安定になったところに付け込んで、日本に対して不利益な行為を好き勝手にされる可能性がありましたから。

 

そうこうしている間に、諸藩から慶喜に対する同情が寄せられ、新政府内で土佐や越前などの公議政体論者が巻き返して、倒幕派が失脚します。

慶喜復権です。

 

さあ、西郷隆盛は、いよいよ戦に持っていくしか方法は無いと考えます。

 

 

鳥羽伏見の戦いから始まった戊辰戦争

戦だと言っても、なんかとっかかりが無いとね。

薩摩は考えました。江戸で藩士などにいろんな悪事をさせて、これ見よがしに薩摩藩邸に引き揚げさせるのです。犯人丸わかり。

挑発です。

江戸の幕臣は、頭にきてついに薩摩藩邸を焼き討ちします。

と言うことで、喧嘩の理由ができました。

 

幕府の中にも主戦派とそうでも無いのがいます。勝海舟なんかは薩長と戦うのはやめろと言っていて、戦争反対の方です。

慶喜も、あまり戦いたく無い方です。

でも、鳥羽伏見で薩摩軍と戦うについては、どうも慶喜は勝てると思っていたようです。

戦力も薩摩を上回っていましたし。

それに、そこまでは薩摩藩と幕府の戦いに過ぎません。

なんで幕府軍は負けたんでしょうか?

 

よくわからないのでネットを探ってみました。

いくつかの記事を見つけて読みました。ここで書こうかと思いましたが、まあ幕府軍がぼろ負けしたということだけで良いでしょう。

負けたんです。

慶喜は嫌んなっちゃいました。

 

 

ここから後が面白いのですが、ここで続けて書くと長くなりすぎるので、次回ということで。