どういう訳か、「自殺」を「自死」と書く人が最近目につきます。
何でだろ?
中には「自○」と書く人もいて、この「○」は「殺」を隠したのか「死」を隠したのか、はたまた、そういう文字を隠すことが何かの「おまじない」のつもりなのか、なかなか難しい世の中になりました。
死にたいと言う人たちを集めて殺してあげる人もいるから、その系統で何か意味があるのかも知れませんね。
ま、何にしろ、「おまじない」的な要素があるのでしょう。
「呪う」要素もあるのかな。気味が悪いですけど。
言葉は刻々と変化しています。それを嘆いても仕方ないし、「塩味」を「えんみ」と読んで通用するようになって久しいですからね。
さすがに「出汁」を人気アイドルが自分たちの料理番組で「でじる」と読んだのは流行らなかったですね。音が汚いからでしょう。
ま、そんなこんなで、みんなでそう言えば、それが今の日本語。
しかし、そう言うのが気分だからというのとは違って、特定の意図を持ってお上が決めた言葉って、なんかどうも。
ぼくが嫌だなと思うのは、「看護婦」さんが「看護師」さんになったこと。
男女の区別があるのがダメだってことなんだけど、区別があっても別にいいじゃ無いかと思うんですよ、ぼくは。
ま、男性の看護業の人が困るからなんでしょうけどね。
男だけ「看護師」てのはダメなのかな? 給料のこととか、職場での立場とかで男女の区別ができる可能性があるからダメですね。
でも、「看護師」より「看護婦」の方が優しい感じがするし、注射針を刺すのも痛みが少ないような気になってしまうんですけど。
それに今まで「婦長さん」で通用してたのに「看護師長」とか「看護部長」とか別の呼び方になるのも、なんかなあ。
呼び方に問題があるんじゃなくて、扱いに問題があるんでしょ。
扱いを正せば、呼び方に性別があっても良いんですよ。
性別がわかると差別の心が湧いてくる、あなたの内面に問題があるんです。
問題はそこなんだ。
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