その年は、イラン革命が起こった年でした。
ぼくが学校に入った時は、革命前夜で、本国でのシャー(王様)の学生に対する弾圧に抗議するイラン人の若者が、「くたばれシャー」と気勢を上げていました。
とは言っても、彼らは良いとこの子ばかりなので、おそらく不穏な本国の状況を勘案し、親が外国に財産と息子達を持ってきたという感じかなと想像しました。
年の途中でイラン革命が成功し、アヤトラ・ホメイニ、宗教と政治の最高指導者の登場となったのです。
イランからの学生達も、えらく気合が入ってましたのを憶えてます。
実は、この数年後に、ぼくはイランに行き、緊迫した状況を肌で知ることになったのですが、それはまた別のストーリーです。
イラン以外にも、イラク、アラブ首長国連邦、サウジ、トルコ等さまざまな中近東の国々、そして南米の国々、アフリカ等々、いろいろな国から学生達はやって来ていました。
当時は、こういう国々の人たちから日本は高評価を得ていました。
どの国の人に聞いても、同じような返事で、
「アメリカは嫌い、日本は素晴らしい。日本がこれからの世界のリーダーになってくれる」
で共通してました。
国だけでなく、日本人に対しても好意的でした。
ああ、そうだ、暑い日のことです。
教室で扇風機が動いてました。床置きの四角い大き目の機械です。
先生と雑談している時に、日本の車がすごいとか、電気製品も良いよねという話になり、
横にいるレバノンからの変人が
「この扇風機も日本製かな?」
「違う。日本の製品はもっと良い」と言いました。
品質というより、見た目で、こんなに無骨なのは日本人は作らないと思ったのです。
そのレバノンの変な奴が、さっと扇風機のところに行き、確かめてから、「ほんとだ、GEと書いてある」と言ったので、思わずみんなで笑ってしまいました。
やはり、日本の製品の品質の高さと、経済力があっての日本の評価です。
もちろん勤勉で誠実な日本人の性格も貢献しています。
でも、これは40年前の事で、今は全然違うだろうと思います。