こう言っちゃあなんですが、最近、皆さん運転下手ですよね。
自動車学校の指導が変わったのかな。
特に、右折、下手ですねえ。
どう言えば良いのかな、グルンとこっちの左側から右方向の左側車線に曲がるのですが、キュッと曲がりますね。右方向の道の右側車線の頭を通るような。
うまく言えないけど、わかります?
右方向の道に車がいたら、右折の際に車の先端がぶつかるか擦りそうな曲がり方をなさいます。
あれは下手なので無くて、自分が行きたい方向に最短で行きたいだけで、他の車や人はどうでもいいということなんでしょうか?
20年以上前から、小学生の歩行がおかしくなり、車の進行方向に体を入れてくるようになりました。ネコが、道路を走る車の前に飛び出て轢かれますが、あんな感じなのです。
その子供達が大人になり、今ではほとんどの歩行者危ないです。
運転者も同様の傾向があります。
最近、気に入らない車を追いかけ回したりという事件がいくつかありますが、あれも同じ延長線上だと思います。
最近の自動車は、勝手にブレーキかけたり、いろいろな安全性能が付いているので、機械のおかげで安全が向上しそうなので、良い傾向というか、それだけを頼りに生きていくしか無いなと思っています。
この前、ディーラーに、ぼくの車はコンビニに突っ込んでも止まるんだよねと聞いたら、はいという返事でしたが、バックの時はダメですと言われました。バックも何とかしろよ。
ぼくが、もっと歳をとったら車の運転できなくなると考えてましたが、自動運転の車だと、ぼける直前まで車の運転が出来るかもしれませんね。
と、考えながら車を運転していて気がついたのですが、自動運転の一番難しいところって、何キロ出して走るのかを車に決めさせるところなんじゃないかと思いました。
制限時速に合わせるという考えはあると思うけど、実際そんなこと出来ないし、制限速度プラス何キロかというのが現実的だけど、それ出来ないよね。車メーカーに、そんなことしろって言えません。
自動運転は、技術的な難しさはあるけども、一番は法規的なというか、政治的なというか、テクノロジーとは違うところの問題が難しいと思いました。
しかし、あと10年は、ぼくは運転できますから、その間に何とかして下さい。と、誰にお願いしているんでしょう。
ところで、30数年前に、エジプトに行った時、乗っていたタクシーが、人をはねました。
今はどうか知りませんが、当時、エジプトの街中で道路を横断するのはかなり度胸のいることでした。
車は止まりません。あうんの呼吸というか、一瞬の隙をつくように道路を渡るのです。
よく、これで事故にならないなと感心しました。
でも、乗ったタクシーが人をはねたのです。
猛スピードで走っていて、ボコッという衝撃とともに、確かに人をはねました。
おい、お前、今・・・
と言うと、運転手はスピードを維持したまま
わかってる、でも大丈夫、問題ない
と、平然と言いました。
同乗していた取引先の海外駐在経験のある日本人社員は、おそらく警察と話がつけれるんでしょう、それにひき逃げ犯が誰かなんて調べないと思いますと言うのです。
ピラミッドを警備している警官が、金をくれたらピラミッドに登っていいと囁いたり、同じくカイロ博物館の警官が、金をくれたら展示品に触ってもいいと言いに来たりしたのを覚えてます。
今は違うでしょうけれど、当時は、そういう国でした。
だから、彼の言うことはそうなのかもしれません。それに、タクシーは一切迷わず走り続けています。まるで、何事も無かったように、何も気にしていないように。
タクシーを降りた後、どうなったのか知りません。多分、何も無かったのでしょう。
日本が素晴らしく、エジプトがひどいなんてぼくは思いません。
もしかして交通上の安全なんてそんなものなのかも知れないという気もします。自分の身は自分で守ると言うのが大原則です。
自分が好きなように動いても、他人は自分を傷つけないように行動すべきで、それが当たり前だと考えている日本の社会は、おかしくなっていく過程の中にいるように思えます。