1933年の作品です。ポアロ物の7作目。あの有名な「オリエント急行殺人事件」の直前作です。
どんな作品か、裏表紙の紹介を。正確な引用ではありませんけど。
自宅で殺されたエッジウェア卿の妻は、別居中の女優ジェーン・ウィルキンスン。
彼女は夫との離婚を望んでおり、しかも事件当夜に夫の屋敷を訪ねて来た姿を目撃されている有力な容疑者なのだ。
しかし、その時刻に彼女はある晩餐会に出席しており、鉄壁のアリバイがあった。
こんな感じの作品です。
この作品を読みながら思い浮かべたことは
毎回言いますが、アガサ・クリスティーは、いろんなジャンルに手を出しています。
名探偵エルキュール・ポアロと言えば、「灰色の脳細胞」を駆使して名推理を行う、いわゆる安楽椅子型探偵みたいな気がするでしょう。
でも、この作品は行動型探偵小説。
例えば、ハードボイルドなんて呼ばれているやつね。
事件解決のためにいろんな関係者に会い、話を聞き、行動します。
そして探偵の行き先には、第2、第3の死体が転がっています。
サム・スペード、名無しのオプや、フィリップ・マーロウ、あるいはリュウ・アーチャーたちとポアロが違うのは、警察が友好的なこと、主人公が暴力にさらされないこと、そして既に名探偵という名声を得ているので丁寧な扱いを受けられることくらいです。
あなたのお気に入りの探偵が、この話の中にポアロの代わりに登場しても、立派にそういう感じで成立してしまいます。
ぼくはホアキン・フェニックス演じる「インヒアレント・ヴァイス」の主人公のヒッピー探偵みたいなのでも面白いように思います。
気になったので、アメリカンな行動型探偵達の描かれた年代を調べてみました。
ハメットの、「血の収穫」が1929年、「マルタの鷹」は1930年、あの素敵な「ガラスの鍵」が1931年に書かれています。
チャンドラーの処女短編「脅迫者は撃たない」は1933年。処女長編「大いなる眠り」は1939年です。
手数の多い「怪しさ」
クリスティーは、これでもかというほど怪しい感じの表情、発言、行動などを提示します。
目的は、読者をミスリードすることです。
ミスリードが大好きみたいなんです、彼女。
クリスティーは、思わせぶりなこういう仕掛けを、後で割合きっちり回収しますけど、この作品はかなりやりっぱなしで放っています。
「そんな細かいことを気にせずに、楽しめた方がいいでしょ」という主張なのでしょう。
冒頭で書きましたとおり、彼女、この作品の翌年に「オリエント急行」を書いています。
あの作品、ぼくは何十年も前に読みましたが、さすがに中学生だったぼくでも「それは反則や」と思ったのですよ。
クリスティーにとって、そういう気分の時期だったのでしょうか。
この「エッジウェア卿の死」の巻末の高橋葉介氏の解説で、
アガサ・クリスティーは、実は「屋台崩し」「禁じ手破り」と呼ばれるほど、それまであったミステリーのあらゆる法則をブチ壊す、斬新というより反則に近いオチを創造し続ける事によって女王としてミステリー界に君臨したらしい・・・と他人がそう書いているのを読みました
なんて書いてありました。
ま、いろいろツッコミたくなるのも事実でありますが、これ、さすがにかなり面白いです。