ネットのニュースは、見出しと写真がずらっと並んでますよね。
何日か前に、ある記事が載っていて、それは2、3日くらい見出し一覧に出ていました。
もう、誰だかわからないくらいに痩せ細って、鼻に管が入っている男性の、おそらくベッドで横になっている顔の正面の写真が付いていました。
ぼくは、この写真が出てくる都度、見ないように目を背けました。もちろん記事も読みません。だから、どんな記事なのか知りません。
ようやく、この記事が一覧に出てこなくなったある日、その日がアントニオ猪木とモハメド・アリの異種格闘技が行われた日だとid:softwindさんのブログで知りました。
あの鼻に管を入れて、痩せほそりベッドで横になっていた人物は、アントニオ猪木です。
1976年(昭和51年)6月26日に、猪木対アリの試合がありました。
ぼくは、その時何をしてたのか、とにかく試合が始まりそうな時に秋葉原の駅にいました。東側の、電気街と反対側の出口にいたのです。
駅を出てすぐ右側に貼り紙がありました。
その位置に喫茶店があり、その喫茶店が自分の店の壁に貼ってたのです。
「アントニオ猪木対モハメッド・アリの試合のテレビ中継見れます」
文章は覚えてませんが、そういう内容の貼り紙でした。
テレビ中継の少し前のタイミングです。
ぼくは、その店に入り、テーブルに座ってコーヒーを頼みました。
当時にしては大きなテレビ(当然ブラウン管)が置いてありました。上手に設置して、店中のテーブルから見えるようになってたと思います。
注文したコーヒーが運ばれてきて、テレビ中継が始まりました。
ベストタイミング。
店中がテレビに集中してました。
試合経過と結果は、皆さんご承知の通り。
世紀の凡戦と言われた試合でしたが、店中に緊張感がみなぎって、ああしかやりようの無い猪木の寝転びキックが試合終了まで続いたのを、全員が固唾を飲んで見つめていたのです。
何より、生中継、リアルタイムであの試合が見れたのは幸運だったと思います。
ぼくは面白かったです。
似たような感じで、学生の頃、モハメッド・アリとジョージ・フォアマンのタイトルマッチ、「キンシャサの奇跡」ってやつを大学のそばの雀荘でテレビ観戦しています。
満員の雀荘で、全員がアリの最後を見届けようと、麻雀をせずにテレビを見つめてました。
おそらく世界中が、アリのファンで、そしてぼくらと同じ予想をしてたと思います。アリは負けるのだと。
で、フォアマンの強烈なアッパーカットの空振りを何回か見て、「あれが当たったら、アリの最後だな」なんて言いながら、8ラウンドの終わり頃、ぼくの記憶は正確で無いのですが、アリのコンパクトなパンチがフォアマンの顔、顎のあたりでしょうかにヒットしました。そしたらフォアマンが小さく回るようにして崩れたのです。ノックアウト。
騒ぎました。興奮しました。おそらく世界中が。
まさしく奇跡、信じられないことが目の前で起こったのです。
あの試合、キンシャサの奇跡で、アリはベトナム戦争の兵役拒否で剥奪されたチャンピオンベルトを取り返しました。
そしてアントニオ猪木と同じリングに上がった時も、世界チャンピオンでしたね。
ぼくは、アントニオ猪木が日本プロレスを追放されて、プロレスができずに、子供番組に出て「アントン体操」なんかをやっていた、要するに体操のお兄さんですね、そんな番組を見たり、特番でワニと戦ったりしてるのを見たりして、猪木が再びプロレスができるようになるのを待ちました。
で、ようやく新日本プロレスを立ち上げて、それがテレビ朝日で定期的に中継されるようになったのが嬉しかったのを覚えてます。
好きなんです、猪木が。
あの記事は結局読むことがありませんでした。
きっと病気で入院しているというような内容なのでしょうか。
大谷翔平と同じリーグでホームランの数を争っているゲレーロJrの名前見て、チャボ・ゲレロを思い出すような奴なので、弱々しくやつれた猪木は見ないでおきます。