写真家の名前を知ってますかって聞いても困るよね。
荒木経惟ってどう読むの?
あらき のぶよし と読みます。
知ってました?
超有名な写真家アラーキー。
アラーキーって漢字じゃ無いし、これだけで人物特定できるんで、そのままにしてました。わざわざ荒木経惟って難しい名前呼ぶ必要ないし、下手すると「あらきのぶよしって誰?」って言われそうな気がして、アラーキーの方がわかりやすいですもん。
ということで、ぼくもついこの前まで名前の読み方知りませんでした。
だって、印刷物ならば、荒木経惟って見たら、ああアラーキーだと分かるし、彼の写真について語る場面が無かったので、読み方知らなくても問題無かったのです。それに、ぼくは写真については、全くの素人ですから。
あの人物を文字認識できる程度で十分だったのです。
彼の写真集は、今まで図書館で何冊か借りていますが、残念ながらあの有名な「センチメンタルな旅」は、まだ手にしたことがありません。本気になって調べて窓口で頼めば、奥の書庫から出してきてもらえるのはわかっているのですが、なんせ今となってはかなり古い書籍です。
まあ、ぼくが死ぬまでに一回見させてもらえば、それでいいのです。
正直、凡人のぼくには、あまり値打ちがわかってません。
いま調べたら、荒木経惟氏は、80歳になられておりました。
ところで、この前、図書館で変な本を借りてきました。
写真家のアラーキー、荒木経惟についてフランス人がフランス語で書いたものの日本語訳というややこしい本です。
著者は、小説も書いているし、もともとは比較文学の研究者だったそうです。
なお、ぼくは比較文学というのがどのようなものなのかは知りません。
この日本語版のために著者が書いた前書きを見ると
日本の読者に荒木経惟を紹介するなど、よけいなことにちがいない。
いまや世界各地で現代のもっとも偉大な写真家とみなされ、日本では以前から有名人である彼を知らない者などいないだろう。
・・・・・・
この本はフランス人作家によって、フランス語で書かれ、いまここに日本語に訳されたものだ。
本書は、美術批評家の手になるものでも、日本文化の専門家によるものでもない。私はそのどちらでもないからだ。
なるほど、変でしょ。
さらに
それでも、本書は荒木経惟についての専門書である。
ただ、評論(エッセイ)として読まれることを要請されながらも、それ以上に一つの小説(ロマン)として構想されたものである。
ということで、この本、読みだすと、やはりなにか変です。
まあ、ところどころに荒木経惟氏の写真がちりばめられてはいますので、それを拾って見ていくのもいいです。
ぼくは、彼のスナップのような写真の方は、なんか好きですから。
でも、最初の「私小説」というタイトルの文章から読み始めていくと、これは変だけど、やはり少し面白いような気がしてくるのです。