ああ、一回思い出すと、関連したことどんどん書きたくなってしまいました。
大橋巨泉て人がいましたね。
もう死んじゃいましたけど、11PMの司会で有名になりました。放送作家でタレント。
あの人、テレビに出る前は、ジャズ評論家だったのです。
こっちも有名でしたが、なんせジャズ評論家なんてものが職業と認識された期間は、ものすごく短かったし、そう名乗る人も限られてたし、その分野で有名になる人もすごく少なかったんで、大橋巨泉がジャズ評論家だったてことを、当たり前に知っている人も少ないですね。
彼がえらいのは、タレントとして有名になった後でも、ジャズを紹介しようという意欲があったということですね。
タイトルはいろいろ変わったけど、TBSラジオで、ずっとジャズの番組を続けてました。
ぼく、聴いてました、彼のジャズ番組。
正直、この番組で勉強して、レコードは新宿のジャズ喫茶で聴いていた、オーディオセットを持たないジャズファンだったんです、ぼくは。
ある日、「今年はチャーリー・パーカー没後20周年なので、チャーリー・パーカ特集をやります」って宣言がラジオから聞こえてきました。
チャーリー・パーカーが亡くなったのは、1955年ですから、その特集をラジオでやったのは1975年ということだったのでしょうか。ぼくは22歳だったですね。
その特集は、長丁場でした。
晶文社から出ている「チャーリー・パーカーの伝説」という本を抜き読みして、曲をかけるってえ寸法でした。
ある程度、時系列に従ってバード(チャーリー・パーカーのあだ名です)の生涯を辿りながらという企画です。
彼、34歳で亡くなりましたから、こういう企画も比較的やりやすいだろうと思います。
ベースで使う「チャーリー・パーカーの伝説」というのは、いろんな人がバードのことを思い出して、こんなことがあったとかいう逸話を集めた本です。
この逸話も、すごく面白いのです。
面倒なので、彼の名前は「バード」と書きます。短いし、みんなが知っているあだ名だから。
ジャズクラブで「バードランド」て所があります。「ララバイ オブ バードランド」なんて曲もありますね。あそこ、バードに因んで店名をつけたのです。
なんで、「バード」というのかと言うと、鳥のように自由に飛ぶ、みたいなことを言う人もいますが、単純に、フライドチキンが好きだったからだそうです。
カンサスシティで産まれて、カウントベイシーやレスター・ヤングを聴いて育って、ビバップ、要するにモダンジャズを作った人です。
麻薬中毒患者です。
人気者になり、金も稼ぎましたが、ほとんど麻薬と酒とに消えていった生涯。
ぼくが好きな話を一つ書いておきましょうか。
バードはものすごい人気があり、追っかけみたいなファンが演奏旅行に出たバードを追いかけて旅をして回ったそうです。その追っかけには女性もいました。
その追っかけの女性の恋人が、その女性を探してやってきます。
とうとう見つけた彼の恋人は、バードと同じホテルにいることがわかりました。
彼女を殺して自分も死のう、彼は恋人の部屋のドアを開けたのです。その部屋はバードの部屋の隣。
そこで、男が見たものは、恋人がバードの部屋との境の壁に耳を押し当て、漏れ聞こえてくるバードの練習の音を聞いている姿でした。
男は、必死に聞き耳を立てている恋人の姿を見て、泣き出しました。
そして、泣きながら、彼も恋人と一緒に壁に耳を当ててバードの演奏を聴いたのだそうです。
まあ、そんな話くらい、バードの演奏を聞けば、本当だろうなと思ってしまいますね。
バードは、晩年ストリングスと一緒に演奏したりしました。「ウィズ・ストリングス」ってやつです。
いろいろ御批判もおありでしょうが、どんなことをしても、どんなところで吹いても、バードはバードなのです。
流れるようなストリングスのハーモニーをバックに、バードはバードらしく吹きまくります。
一人旅というイメージのあるバードの演奏ですが、歌伴も上手だから、いけちゃうんですねえ。
このあたり、関係無くロックなのですが、デュアン・オールマンも、不思議に歌伴が上手かったことを思い出しますね。
やはり歌心、大事なんです。
はい、今宵は、そのウィズ・ストリングスで「I'll remember April」をお届けしましょう。
お聴き下さい。