これは、非常に良い加減な福井市の中心部の地図です。
福井城址が示されていますが、昔は、この城はもっと大きかったし、濠ももっとありました。
足羽川は天然の川ですが、福井城の外濠の役割を果たしていました。
昔、赤い線の橋だけしか無かった
で、足羽川にかかる橋ですが、ここに名前が書かれた橋のうち、幸橋、桜橋は、江戸時代には存在しませんでした。
赤い線が通っている「九十九橋(つくもばし)」という橋だけは存在してました。
北陸街道
国道8号線は北陸街道とは少し違う
地図には、旧 8号線(フェニックス通り)という道路が示されています。
別に「旧」って書かなくても良いのですが、もっと東に8号線のバイパスが通っているので、「旧」と付けてみました。
南北に走る、街にとっては中心的な通りなので、市街部分を「フェニックス通り」と呼んでいます。
この「フェニックス」は樹木の名前ではありません。
「不死鳥」という意味です。
空襲の後に、福井大地震があって、壊滅状態から不死鳥のように、また街が出来たということから、「不死鳥」は福井市のシンボルでなので、この通りに「フェニックス通」という名前を付けたのです。
国道8号線は、京都の方から、琵琶湖の東岸、彦根、米原、長浜、県内に入って敦賀、武生(越前市)、鯖江を通って福井に入ります。そして北上して石川県に入っていきます。
昔、同じようなルートを通る「北陸街道」という街道がありました。
近江の方から峠を越えて、県内(藩内)の今庄を通り、福井に向かって北上し、さらに北上して新潟の直江津の辺りまで通じていたそうです。
橋が無いから迂回する北陸街道
ただ、福井の街の中でも北陸街道と8号線は、ちょっと違ってました。
8号線が通る「幸橋」が、当時無かったのです。
城の近くに直接行けてしまうので、橋があると具合が悪いのです。
で、赤い線が北陸街道なのです。
九十九橋を渡って、北上する道は、今は「呉服町」という割合細い道です。
ぼくが小さい時には「呉服町商店街」でした。
九十九橋ってのは、こんなふうです
今の北陸街道 (北国街道) 呉服町通り
北陸街道というのが気になったのは、呉服町通りの中に表示してあるこの看板です。
ある日みつけました。
呉服町通りの中には、「北国街道」の表示がちょっとずつあります。
北国街道(北陸街道)は、この呉服町通りを北に行き、今で言う「松本通り」を東に曲がり、だいぶ行ってから北上して石川を目指します。
そして、いつのまにか8号線と一致するのです。
福井市街にお城があるので、それを迂回する都合があるので、街中は変に遠回りすることになります。
昔は、関西方面、近江方面から福井、石川、新潟を目指す人は、みんなこの北陸街道を通ったのです。
京都から逃げてきて、吉崎に御坊を開いた蓮如さんも、何回か福井にやってきた坂本龍馬も、みなさんこの街道を歩いたんですね。
毛矢侍
福井の殿様、9代松平宗昌は、松岡藩主だったけど、福井藩主になったって、この前書きましたよね。
松岡ってのは、福井市からちょっと東に行ったところにある町です。
さて、宗昌が、福井藩主になるにあたって、松岡藩は無くなり、福井藩に吸収されました。
もともと1つの藩だったのを4代藩主光道の時に松岡藩というのを分離しただけなので、元に戻ったのですね。
で、松岡藩に勤めていた侍たちも、宗昌について福井に入ってきました。
しかしながら、お城の近くには、空きが無く、家を作れません。
ということで、足羽川の向こう、南側に松岡から来た侍たちが住みました。
川の向こう、ちょっと外ですね。
その辺りは、毛矢と呼ばれる地域でした。
今でも毛矢という地名はあります。
冒頭の地図を見て下さい。
で、毛矢に住む侍ということで、松岡から来た侍たちを「毛矢侍」と呼んだらしいです。
幸橋南詰から南に向かって。
城の防衛の都合上、橋が作れませんので、この侍たちは舟で川を渡ったらしいです。
櫂でこぐのではなく、川の上に綱を張って、それを手繰って向こう岸に行ったそうです。
なんで毛矢侍の話をしたかと言えば
この人、毛矢侍。
で、その頃、福井に横井小楠という変な人、学者かな、が熊本から招かれていました。
どうも酒を飲むと、よろしく無かった人なのですが、なかなか優秀な学者。
で、さっき言った三岡八郎というのが、この横井小楠から学んでいたのです。
ま、小楠も彼が気に入っていたみたいです。
さて、北陸街道を通って坂本龍馬が何回か福井を訪れました。松平春嶽に会いに来たのです。
ある夜、横井小楠が坂本龍馬に、面白い男と酒を飲もうと言って、足羽川を舟で渡って三岡八郎(後の由利 公正(ゆり きみまさ(こうせい))のところに行き、酒を飲んだと言う話です。
この話を読んだ時に、横井小楠が小舟の櫂をギッチラギッチラ漕いで、川を渡るイメージがぼくの頭に浮かびました。前に坂本龍馬を乗せているの。
で、南岸で三岡八郎が、その舟を見つめて待っている。
しかし、その後で、渡した綱を手繰って舟が行くんだと知って、ちょっとがっかりしたんです。
こんな話を書きたくて、後半付け足しました。