武生とか味真野とかいう地域
福井県には武生という町があり、この前の町村合併の際に、武生市から越前市に名前を変えました。
ぼくの住んでいる福井市から南で、港および原発のある敦賀市のちょい北にあります。
さてこの越前市(元は武生市)は、「武生(たけふ)」という名前が、ちょいと味な感じを漂わせる通り、昔は文化的に開けたところだったようです。
なにやら変な本を読みますと、朝鮮や中国から船に乗って、潮の流れに身を任せ、自然に浜に打ち上げられると、そこは越前だったようです。
だもんで、向こうから逃げてきたような人たちが、ここ越前に、当時のハイテク産業を持ち込んだということで、武生の近くには、刃物、漆器、製紙などが根付いたということです。
また、福井からは5世紀ころ、継体天皇が出て、やがて大和国を治めました。
この継体天皇は、地方豪族が日本を征服して、その後の天皇の家系になったとか(万世一系の否定)、あるいは天皇の血筋の方が福井に流れ、先代の天皇の崩御の際に中央に招かれ即位した(万世一系は成立)とかいろいろ説があるようですが、実在したようです。
なんやかんやで、武生の山側のあたり、味真野とか五分市とか呼ばれる地域は、立派な寺がたくさんあり、中には皇族のお姫様が輿入れした寺があったり、また紫式部が一時住んでいたりという場所です。
福井県で一番早く咲くさくら
ということで、今日は家内と二人で、武生の山の方(東側)味真野と五分市へ行ってきました。
なお、味真野と五分市は、地元の人たちはいろいろ意見があると思いますが、ほとんど同じ場所です。
ここに城福寺という寺があり、そこのしだれ桜が福井で一番早く花が咲くとテレビのニュースで言っていたのです。
味真野の桜はまだ咲いていませんでした
北陸自動車道の武生インターを降りると、東西に走る道に出ます。
この道を東に走って、途中南にちょっと入ると、この辺りに着きます。
上にいろいろ書きましたが、現在、とても田舎です。
ぼくらは道を曲がり損ねて、味真野小学校に着きました。細い道が小学校の前だけ路上駐車可能なくらいに膨らんでいたので停車したのです。
石柱が二本立っている間が小学校の正門で、そこから侵入すると校庭にサクラの説明看板が立っています。
たしかに校庭の真ん中に大きな桜の木が立っていました。
実は、この小学校の前に駐車した時に、同じ方向から軽自動車がやって来てうちの車の後ろに止まりました。
その軽自動車から、小さなおばあちゃんが降りて来ました。
手にはカメラを持っています。
このおばあちゃんに、目的の城福寺の場所を聞いたところ、さっきパスした小さな四つ辻を西に入れば良かったのです。
道を説明してくれたおばあちゃんは、「私、ここも撮るの」と言って小学校の校庭に入って行きました。
たぶん、先に城福寺に行ってきたような感じです。
満開にはまだまだですが、桜だなあという感じ。
おばあちゃんは、熱心に撮影し、さらに校庭の向こうで咲きがいいのを狙って歩いて行きます。
ぼくらは、とにかく目的地に行こうということで、教えられた通りに城福寺に向かいました。
城福寺のサクラは見事です
咲いてます。さすがにテレビに取り上げられるだけのことがあります。
山門の手前に植え込みが道に沿って帯状に整備されています。
山門手前のサクラ
熱心な撮影者がいます。
さて、山門潜りました。
花筐(はながたみ)の桜は、継体天皇が愛したとされ、能楽「花筐」にも謡われているものだそうです。
桜の周りはカメラだらけ。一眼レフ、コンデジ、スマホ、皆さん撮影しまくってます。
きっと、僕と同じでブログに出したり、インスタなどに載せるのでしょうか。
で、タイトル何なんだ?
あ、貴景勝が相撲協会からの使者から、大関昇進を伝達された後の記者会見の言葉です。
サクラと関係無かったですね。でも、聞いて、すごく嬉しくなった言葉です。
「どのような大関に・・・」という記者からの問いに対しての答え。
良いねえ。良い返事。
頑張れよ!!
んで、今日は関連性のない話題が並んで申し訳ありませんが、夕方テレビで甲子園の試合を見ると、福井から行っている啓新高校(初出場)が桐蔭学園に勝ったではありませんか。
啓新高校は20年ほど前までは、女子高校(福井女子高)だったのです。
野球部ができたのが6年ほど前です。
試合終了は、温泉の脱衣室のテレビで見たのですが、試合見ていた裸の爺さん達からは拍手が沸き起こるとともに、「啓新高校、金は大丈夫やろか」という心配の声もあがってました。
男性のOBの最年長は40歳そこそこ。
野球部OBだって、最年長24歳くらいですから、卒業生からの寄付って言ってもね。
ま、とにかくこっちも頑張れ!!