福井藩主の別邸だった養浩館には日本庭園があります。
通常は、入場料が要るのですが、今、今年の9月末までは、早朝6時から8時45分までの間、無料開放されています。
テレビの地元ニュースでこれを知り、「行こうね」と夫婦の会話。で、天気の良い朝、ぼくがまだ寝床でグズグズしていると、「さあ、散歩に行くぞ」と家内が起こしに来ました。
起きました。
朝飯前の散歩です。
ざくっと、家から養浩館に行き、庭園を散策し帰宅すると、ほぼ4キロで、ちょうど良い散歩コースです。
気持ち良かったですね、庭園散策。
福井の殿様で、一番有名なのは、幕末の松平春嶽でしょうね、今NHKの「西郷どん」でも登場していますが。
と言うことで、この本
ぼくは葉室麟好きなのですが、数冊しか読んどりません。で。全部、当然、時代小説なのですが、歴史物というのは初めてです。
松平春嶽という人は、少し調べると、なかなか興味深い人物で、徳川幕府時代も明治時代も、それぞれで政治的に重要な要職に何度か付いていますが、割合すぐに辞めてしまってます。
変な人だなと思いますが、社会が放っておかなかったんですね。幕末から明治維新への時代の流れの中での中心人物。その松平春嶽を描いた作品です。
史実を描いてますから、ストーリーは当然決まっており、ドラマチックな展開というわけにいきませんが。
それでも、勝海舟からの使いが、福井に来ます。変な浪人者ですが、なんとなく春嶽は、坂本龍馬と名乗ったその男が気になります。ここを冒頭に持ってきて、読み始めで、さすが葉室麟と思いました。
実際、龍馬は何回か福井に来ています。この最初の来福の際に、春嶽公について龍馬と会った横井小楠は、夜、龍馬を連れて、弟子の三岡八郎の家に行き、酒を飲みます。この三岡八郎、後の由利公正の居宅跡に、この事を記した石碑と、龍馬の歌が刻んであります。よく散歩で通る足羽川原の土手です。
なお、由利公正というのは、五箇条の御誓文の原案を書いた人で、どういうわけか東京の知事にもなっています。
大政奉還を決めるあたりで、西郷隆盛が、春嶽公に「越前様には、もはや橋本左内殿のことはお忘れになりもしたか」と聞きます。春嶽は当然、忘れてなどはいません。後に西南戦争の際、隆盛が最後まで持っていたカバンの中に、橋本左内からの手紙が入っていたことを春嶽は知ります。
この辺りが、葉室麟なんだなあ。
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