70代の真実

70代年金生活者の生活と思ってること、その他思がけないことも

正月飾り

正月の玄関飾りを買わねばと、スーパーに行って、あんまり種類が多いのと、結構高いので、とりあえず今日は買わずに、食品のみで退却したのです。

しかし、よく思い出してみると、今年の正月は100均の玄関飾りを使ったのでした。

朧げな記憶を、家内に確かめてみると、家内もようやく思い出してくれました。

 

実際に飾ってみたら、「ああ、これで十分だ、全然見劣りしない」とぼくが言ったのも思い出しました。

どの100均で買ったのか、もしかするとセリアかなと。

だいたい1000円ほどで売っているのも、がっさい物なんです。100均のでもほとんど変わりません。

どうせ数日で捨てるし、基本、横になった綱があれば良いのですから。

もう仕事もしていないし、飾ってない家も多いですからね。

 

飾らないと言う選択肢もあったか・・・

寒いとバッテリーも縮こまります

寒いですね。

福井は、今朝マイナス1度という状況でした。布団から出るのが辛い。

 

で、朝イチで充電しようと思っていたiPad Proが、ケーブル繋いでも充電始めないのです。

電池残量18%だったのですが、1時間ほどしてもほとんど変わらない。

寒い日は、電池も寝てるのです。前にもこんなことがありました。

放っておいてもダメです。

暖房している部屋に運んで、電源を入れてみたらようやく充電開始。

現在89%くらいまで来ています。

 

幸い、他のiPad miniやiPhone7の電池が急激に減る現象が起きてないので良いのですが、寒いと一気にものすごく電池が減っていることがあります。全部いっぺんにそうなると困ります。

 

これからは寝床に持って入って、一緒に寝てやらなければいけないかも知れませんね。

室町幕府の最後の将軍 15代将軍足利義昭と織田信長 その3

元亀という年号は不吉

1570年から始まる元亀という年号は、3年間続きました。

この間、あんまり良いことが無いので、さっさと新しい年号に変えようという話が持ち上がります。

 

織田信長が、越前の朝倉義景を攻めに行って、妹の旦那の浅井長政に裏切られて逃げて帰って、くっそーと言いながら姉川の戦いをしたり、比叡山を焼き討ちにしたり、嫌なことばかり。

でもね、年号を変えるなんて天皇さんが新しいの作ってくれれば良いじゃない、というような気楽なものでは無いようです。

やっぱり発表とか周知とか、結構金がかかるようです。書きつける紙も上等でしょうし。

そういうのは、やはり将軍が用立てないといけないらしいです。

でも、足利義昭は、ちゃんとしていません。5箇条の意見書でも、お前はちゃんと朝廷の世話をしろよと信長は言っているのに。

 

その他、いろいろと足利義昭は、至らないというか、心を入れ替える必要があったようです。

で、織田信長は元亀3年の9月に17ヵ条の異見書てのを足利義昭に送るのです。

これ、ひどいんです。

 

  1. 兄君の義輝殿は朝廷をないがしろにしていたために、あんな最期だったやろ。だから義昭様はきちんと参内してくださいと言ったのに、朝廷に行ってもいないそうやね。
  2. 諸国の大名に馬をせびっていますね。これマズイから、欲しいのならこの信長に言いなさい。あげるから。
  3. よく頑張っている部下に褒美をやらず、気に入った者には良くしてるらしいですが、それはアカンやろ
  4. 将軍と信長の仲が悪いと世間は言っている。将軍の大事な宝物をよそに移しているらしいけど、どうするんや。住まいも移すのか。せっかく御所まで作ってやってるのに、何を考えてるんや
  5. 寺社から所領を取り上げて、他のものにやったりしているそうやけど、そういうことはしたらあかん
  6. 信長に友好的な者に対して、ひどい扱いしてるそうやけど、なんでや
  7. 真面目に務めている者に、給料安いらしいけど、それはひどい
  8. いろんな訴えにちゃんと対応していないけど、ちゃんとせいや

この他、朝廷が元号を変えようとしてるけど、そのための僅かな費用をちゃんと持っていって無いとか、諸国などから金銀を貢がせているとか、備蓄米を売って儲けているとか、寝所に呼び寄せた男色の相手が気に入ったら、良い役職につけてやったりしてるけど、その場で何か物を与えるだけにしておけよ等々17ヵ条の注意が書かれています。

遠慮なし。

 

読んでいると、こんなことしてるなら、忖度なしで、はっきり言ってやった方が良いように思いますね。

信長は、こういうことを将軍に注意しておいたぞと、いろんなところに内容を書き送ったらしいです。

いろんなところから将軍の悪口が信長のところに入ってきたんでしょう。仕方ないから、おれはちゃんと言っておいたよと示すために、コピーを方々に送ったんだろうと想像します。

苦労してるんです、信長も。

 

こういうのを見ると、信長は当初自分で天下を取るというよりも、将軍を盛り立ててちゃんとした政治をさせようと思ってたんじゃ無いかなって気がします。

 

しかし、足利義昭は器じゃ無かったんでしょうね。

ケツの穴が小さいの。反省せずに信長を憎むようになります。

せっせと諸国の大名に、信長を討つように手紙を書き送る日々なのでありました。

 

 

真打登場

将軍の手紙に武田信玄が答えてしまいました。

いくら信長でも、武田信玄はヤバいでしょ。真打登場。

足利義昭も喜んじゃった。

 

やはり強い武田信玄、そして朝倉・浅井連合軍、自分の兄を殺した三好三人衆と三好義継・松永久秀もいつの間にか自分の味方にして、足利義昭は信長包囲網を作り上げたのです。

しかしながら、満を辞して出てきた武田信玄は病気で勢いが止まってしまいました。朝倉義景は例によって思い切りが悪いし、冬の間は雪が降って動けない。

 

情報がタイムリーに入ってこないという状況は困ります。足利義昭は中途半端な状況把握のまま、年号も変わった天正元年(1573年)2月に反信長の兵を挙げてしまいます。

これに対して、信長は、武田信玄の病状、朝倉浅井の動きも、迅速正確に把握して、さっさと京都に入り、街に火をつけたりとかして、将軍の足利義昭を脅します。本当にやってしまう気は無いのですが、将軍を脅してバカなことを諦めさせるのです。

だいたい、足利義昭が対織田で挙兵しそうな状況を察した朝廷は、事前に「アホなことはやめろ」と将軍に言ってきたそうです。なんで今、信長と戦争するんや、都の平穏を守るのがお前の仕事やろ。

 

そうこうしているうちに、武田信玄は病死してしまいます。

 

将軍追放

どうも、足利義昭武田信玄の死を把握していなかったのでは無いかと書いている本がありました。

バカなのかと問いたいのですが、足利義昭武田信玄の死の2ヶ月ほど後に、再び挙兵します。

今度は、二条御所を出て、伏見の川の中洲にある槙島城に篭ります。

二条御所は、三淵藤英に守らせました。

 

信長が二条御所に兵を向けると、ここはさっさと降伏します。

三淵藤英は、信長の子分になります。弟の細川藤孝は、もっと前から信長の家来になっています。この二人、義昭が越前に行く前からずっと将軍を守ってきた人たちですね。こういう連中にも愛想を尽かされるような人物だったのでしょうね、義昭。

 

さて、川の流れの中に建つ城というのは、難攻不落なんだろうと足利義昭は思ったらしいですが、ここもさっさと落とされてしまいました。

 

織田信長は、将軍足利義昭を殺すことはしませんでした。

世間の目があります。怪我もさせないように気をつけたらしいです。

城から引き出した足利義昭を、将軍という地位はそのままに、京都から追放しました。

秀吉に命じて、大阪の方に送って行かせました。

この時点で、室町幕府は終了です。

 

 

その後の織田信長

上に書いたように、征夷大将軍足利義昭のままです。

織田信長は自らの立場というか肩書きのないまま、さっさと浅井・朝倉を滅亡させてしまいました。

信玄亡き後の武田も滅亡させます。

各地の一向一揆も殲滅します。

まさしく天下人に上り詰めていくのです。

 

この前も書きましたが、信長は朝廷の方から、太政大臣・関白・征夷大将軍のどれでも好きな称号を与えると言われます。

征夷大将軍は、その時点で足利義昭なのですが、そんなの剥奪しても良いよという朝廷の考えですね。

信長は、返事をせずに使者を返します。

 

義昭を立てて上洛したときも、義昭から、副将軍・管領等の称号をあげますよと言われて断っていますね。

信長は、こんな奴と一緒に幕府に入ったらダメだなと思って、外から支える方に回ったんでしょう。

 

朝廷としては、どんな官位でも、受けてくれれば天皇の臣下ということになるので、なんとか受けてもらいたかったのでしょう。

ということは、信長が天皇を超える存在になるのではないかという不安があったのでしょうね。

 

信長がどう考えていたのか、その天皇の使いが来た翌月、天正10年(1582年)の6月に、本能寺で信長は明智光秀に打たれてしまいました。

 

ああ、今回も長くなっちゃった。

その4もあるかなぁ?今は内容が頭の中にあるんですけど、忘れるかも。

 

 

 

 

今日は、ギターでも聴きながら

 

この人、ギター弾いている時の表情がなんとも言えないのです。自己陶酔型。

以前も紹介しましたが、また聴きたくなっちゃって。

この前のとは、違うブルースを。

弾きはじめの時の、ちょいとしたウィンクでニヤッとしてください。


I'd Rather Go Blind/ Tennessee whiskey. Guitar Solo / Helen Ibe

 

そして、ちょっと雰囲気が違うのも、どうぞ。


Willow Tree By Darneasha Charnae / Smooth Jazzy Guitar cover

ジャージー牛乳。

 

あ、この人パトロン制みたいですね。

やはり、みんなで育てようということなのでしょうか、演奏の終わりに、パトロンの人たちの名前表示されてますが、けっこういますね。

 

 

以前アップした、この人の演奏はこれです。

世の中、頑張る人もいれば、頑張らない人もいるのです

自衛隊

3年ほど前の豪雪の時に、福井県の石川寄りの国道8号線で、大渋滞というか車の立ち往生が発生しました。

あれはひどかった。

雪がひどいので、高速道路から車をみんな降ろしたものだから、国道がものすごいことになってしまったのです。

でも、立ち往生しても高速でなくて下道ですから、沿道に店もありますし、脇道に逃げる手もあります。

地元の飲食店が、何か温かいものを差し入れしたりできますしね。

 

今度の関越自動車道の立ち往生は、大変でしたね。

雪のよく降るところなんかでは、止まっている間に雪が積もりつづけ、車の床よりも雪の方が高くなってしまったところもあり、そうなると除雪しないと道が空いても車は動けません。

トイレも買い物も、たくさん歩かないといけないし、地元とは隔絶されるし。

寒い車内で夜を過ごすのは危険です。凍死とか出なかったみたいで良かったけども、体の具合が悪くなった人もいたようですね。

 

自衛隊が助けに来てくれて、ほんと良かったです。

とにかく除雪も手作業の部分もあるしで、自衛隊じゃなければ、とても無理。福井の時も自衛隊にお世話になりました。

 

困った時の自衛隊なので、普段ももう少し優しくしてあげて欲しいと願っています。

 

 

警察

木村花さんを自殺に追いやった書き込みをしていた20代の男性が、書類送検されました。

去年のハロウィンで軽トラックをひっくり返したやつが、カメラの画像分析で逮捕されましたが、あれと同じで、警察もとても大変な作業をして、今度の書き込み男を特定したのですね。

匿名だから何をしてもいいと思っている連中も、いざとなったら自分を特定される可能性があるんだと理解すれば、少しはマシな行動をとるようになるかも知れません。

この件の、警察の仕事は素晴らしいと思います。

 

 

頑張らない人たち

首相の外食を細かく取り上げて喚き立てる立憲民主党国会議員の女性とか、勝負の3週間は、お前の失敗だと認めろとか、ちょっとヤクザっぽい言い方の立憲民主党の国会議員男性とか、努力しないで仕事しているみたいに見せるのが自分たちの仕事では無いのだと理解してください。

高額なボーナスもらったばかりなんですから。

 

カトパンという女子アナが、あの国会の様子を写したビデオが流れた後、他人を責めるばかりではなく、この事態をどうすれば良いのかをみんなで話し合って頂きたいと、感想を口にしていたのですが、至極真っ当な意見だと思います。

 

基本、感染症流行の阻止は、本来的に政治の仕事ではなく、あれは科学、医学の仕事なんで、パンデミックはお前のせいだと他の政治家をなじったって、仕方ないんですけども。

 

 

検査、検査と叫んで高視聴率を手に入れたテレビ番組がありましたが、誰でも検査を十分にできるようにしてもらいたいのは当然で、しかもその検査体制は、その時点ですぐには実現できないのはわかっているから、しばらくは「検査」と叫んでいれば、みんなの共感を得られるということです。

さすがに検査がかなり出来る様になってきたら、もう、検査だけでは解決できないということも分かってきちゃいましたが。

 

 

あの番組によく出演している“コロナの女王“と呼ばれた岡田晴恵さんは、早くから、冬になったら感染が爆発すると言ってました。

寒さと乾燥がウィルスの活動に良いそうです。

現状、彼女のおっしゃる通り。

当然、あの番組の出演者たちもよく理解しています。何回も直接聞いてますから、玉川さん。

でも、よく理解したくせに、この感染者の増加は、GoToと首相の取り組み態度が原因だと得意そうに言ってます。

あんたら、岡田晴恵さんの言うことに頷いて聞いていたじゃないですか。

感染増加は、基本、冬になったからなんです。

 

旅館や旅行業、飲食業は潰れてもいいと、ここにきて皆さんそうおっしゃるのなら、最初から飲み屋に金を配らずに、コロナ病棟を設置した病院に金をばら撒いて、コロナ担当の看護師や医師の方達に十分な特別手当と、ボーナスをたくさんあげれるようにして欲しかったと思ってます。

そういう医療関係者を差別したりすることについての罰則を法律で定めれば良かったんです。国会で。

最初から、春から、コロナ対策の医療関係者の保護ってことを政治はやるべきでした。

ステーキの食べ方に文句言ってないで、そういうことに早くから文句を言ってくれれば、良かったのに。野党やマスコミ。

 

 

ついでに気になっていること

通常、豪雪とかなると、高速の入り口閉めたり、大きなサービスエリア利用して車にスタッドレスが付いているのかチェックしたり、そうでなければチェーンを巻かせたり、ノーマルタイヤの車を降ろしたりします。

高速走ってたら、状況見て手前のインターで降ろすし、走行状況を表示したりもします。

それに除雪車も走ります。

 

今回の関越道は、その辺りどうなっていたのか不思議なんです。

立ち往生は、先頭車両が止まったからですよね。

ゆっくりでも走っていれば、時間はかかっても流れるけども。

下道ならわかるんだけど、高速でのスタックって、どのようにして起こるのでしょうか。ノーマルタイヤで走ってた車があったのでしょうか?積雪でスタックって、高速道路では無さそうに思うのですが。

 

 

まあ、良いんですけどね。

冬は、車にスコップ入れて、毛布とダウンなど温かいのと、お菓子と水を入れておきましょうね。手袋とゴム長も入れておきましょう。

凍死は寒いです。

室町幕府の最後の将軍の話 15代足利義昭と織田信長 その2

室町幕府の将軍て何なんだ?

ずっと、室町幕府の終わりの頃の将軍の話として10代目から最後の15代までを取り扱ってきました。

みなさん、この将軍たち、どう思われますか?

全然、あかんですよね。

 

じゃあ、室町幕府の将軍て意味の無い存在だったのでしょうか?

それとも、やはり将軍は将軍としても存在意味があったのでしょうか?

一体、あいつら何なんだ!!(エコーが残っていく感じで、ひとつ)

 

 

天下布武

これ、織田信長のハンコです。印鑑に彫られた言葉です。

自らの武力を以て天下を取るって感じがしますけども、どうも違うみたいです。

この前読んだ本に書いてあったのです。それを確認して、ここに書こうと思っていたのですが、あいにくと図書館の返却期限の日付の確認をうっかりしてしまい、返却期限の延長が出来ずに、もう返してしまったのです、その本。

 

ということで、ウィキペディアを調べたら書いてあるだろうと見てきました。

近年の歴史学では、戦国時代の「天下」とは、室町幕府の将軍および幕府政治のことを指し、地域を意味する場合は、京都を中心とした五畿内(山城、大和、河内、和泉、摂津の5ヵ国。現在の京都府南部、奈良県大阪府兵庫県南東部)のことを指すと考えられている。

そして、「天下布武」とは五畿内に足利将軍家の統治を確立させることであり、それは足利義昭を擁して上洛後、畿内を平定し、義昭が将軍に就任した永禄11年9月から10月の段階で達成された事、とされている。

なんせね、

武とは軍事力ではなく、中国の史書からの引用で七徳の武という為政者の徳を説く内容の「武」であったと解釈されている

んだそうですから。

 

要するに、信長は美濃を手に入れてから、この「天下布武」ってキャッチフレーズ使いましたけども、それは「俺が天下を取るぜ」ということでは無く、「ウロウロしている足利義昭を連れて京に入り、そいつを一丁前の将軍にして、天下を安らかにするんだぜ」ということだという事です。

 

 

上洛した信長は何を考えてるんだあ!!??

さて、キャッチフレーズ通り、信長は足利義昭を連れて、こちょこちょと敵を追払い、見事に上洛しました。

そして、足利義昭は15代将軍になります。

で、信長は岐阜に帰っちゃう。

何で?

 

当時、天下とは京都を中心とした畿内です。

天下人たる将軍のいる場所です。

天下を取るなら、信長は京に留まらなくっちゃ。

でも、義昭頑張れよと、さっさと岐阜に帰っちゃう。

 

何考えてるの?

あんまり京都にこだわって無いのは事実でしょ。

天下は義昭がちゃんとしてよねという事でしょうか。

足利義昭は、織田信長に対して「御父」とまで手紙で呼びかけている状態です。

もう天下は信長の思うがままでしょ。多少、不都合があったけど、それは取り除いていけばいいのだから。

天下取りということに、あまり興味が無かったのか?

 

今までの実力者は、京都も将軍も押さえて、天下を自分の思うようにしてきました。

10代目から後の将軍のことを書いてきましたけど、そうでしょ。

このあたりの信長の立ち位置が、どうも不思議なんです。

そういうつもりが無かったような気がしてしまいますでしょ。

将軍の保護者でいようとしたのでしょうか。

 

 

そうは言っても、命令される方にも都合があるよ

さて、信長が岐阜に帰ったせいで、三好三人衆が将軍義昭の居場所とした本圀寺を攻めました。

この時、明智光秀が将軍を守って活躍したそうです。何とか敵を押し返しましたが、やはり、ちゃんと将軍の居場所が必要だということで、信長は二条御所を建築し、将軍はここに落ち着きます。

とにかく面倒は見ますよという信長の態度です。

 

世の中の人たち、この様子を見ています。

やっぱり信長だ、とみなさん思うのは当然です。

 

で、天下のことは将軍が行うと言っても、みなさん、「で、信長さんはどう考えているの」あるいは「信長さん、このこと知ってるの?」と、やはりそっちを気にしますよね。

将軍の命令書をもらっても、信長の顔色が気になる。

ということで、「将軍の命令書に信長のハンコとか書類もつけてくれないと、困るよね」となるのは当然でしょ。

信長も添え書なんかを書きました。

この辺り、信長が権力を握ろうとしたと考えてもいいですけども、命令される方の都合というか思惑と要求もあったと思います。

 

 

五箇条の条文は、当たり前のことを書いただけ

ところで、二条御所が完成して、そこに居を移した足利義昭、ものすごく感謝したでしょうね。(1569年4月)

でも、その年の10月に、織田信長は、さっさと岐阜に帰ってしまいます。ちょっと義昭と衝突があったみたい。

 

どうもね、義昭、ちょっと性格がダメみたいなんです。

信長は伊勢大和城に籠る北畠氏をやっつけに行ったのです。一応、開城させて信長の勝ちみたいになってはいるのですが、だいぶ苦戦したのです。と言うか、実質信長の負けっぽい。

仕方ないので将軍の義昭の仲介で和睦して、しかも将軍の威光で、実質的に負けた信長に有利な条件での和睦となったのです。

で、義昭、調子に乗ります。「俺って、やるじゃん。将軍だもん」ついでに信長に貸しを作ったくらいの気分になったのでしょうか。

で、信長がへそ曲げて帰っちゃった・・・んじゃないかと言う歴史研究家もいるんです。

「馬鹿野郎、誰のおかげで今の地位についたと思ってんだ」なんてね。

 

で、年があけての正月に、信長は五箇条の条文を、足利義昭に突き付けます。

 

  1. 大名たちに御内書(将軍の書状)で命令することがあるなら、まず信長にその旨を言う事。信長からも書状を添える
  2. これまでの御下知は全て無効とし、改めて考え直してから決めること
  3. 将軍に忠誠を尽くす者に恩賞、褒美を与えたくても土地が無い場合は、命令してくれれば信長の分国の中から提供する
  4. 天下のことはともかく信長に任せたのだから、誰であっても将軍の意思を伺う必要はない。信長の意思通りに行う
  5. 天下は鎮まったのだから、朝廷のことを油断なく行うこと

 

読んでみると、割合当たり前のことが書いてあるでしょ。

前に書いたような事情で、大名たちへの命令書には、信長の書状も添えたりしてましたし。

一応、「調子に乗るなよバカ」と言う将軍義昭に対する牽制みたいなものです。

5条目なんか、仕事ちゃんとやれよってことですもんね。

 

この条文だけで、将軍の傀儡化というか、信長の野心とか、そういうものでも無さそうなんです。

 

 

他の人たちの評価てのもありますよ

この五箇条の条文を出した2ヶ月ほど後、1570年(元亀元年)3月、信長は京に行きます。

こん時の朝廷の扱いがすごかったらしい。公家の偉いどころや武士のいいとこあたりが京の入り口まで出迎えに行ったり、とにかく特別扱い。

本には、将軍並みの扱いを朝廷がしたと書かれていました。

 

天皇さんも、あ、正親町天皇玉三郎ですね、なかなかですから、色々考えてはります。

ま、世間の見る目って、そう言う風だったんです。

 

そのあたり考えると、義昭ダメでしょ。ちょっとバカかも。

 

 

と言うことで、この続きは、また。

その3の心なのだ。

 

 

 

 

石原裕次郎と小林旭を観まくっている日活なこの頃ですが、時には「ホワイトハウス・ダウン」は「ダイハード」だと喜びたいぼくは、「おれは、待ってるぜー」と口ずさんだりしています

この前から石原裕次郎を観ています。

あの太って目の下が黒い、そしてブラインドの隙間を指で広げて外を見ている大きなおっさんでは無くて、若くてかっこいい足の長い裕次郎です。

小沢昭一が「日活の撮影所をTシャツ着てビールをラッパ飲みしながら裕次郎が方々覗きながら歩くんだよ、それがカッコいいんですよ」と言った、あの石原裕次郎です。

はい、「狂った果実」を観に行った客が、「あいつだ、この前俺をカツアゲしたのは」とスクリーンに向かって叫んだという、あの裕次郎です。

 

先日、「鷲と鷹」、はい、すごく若い三国連太郎と共演した作品。

鷲と鷹

鷲と鷹

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一昨日、二谷英明が殺し屋を演じ、裕次郎が飛行機のパイロットで、セスナを操縦して八丈島破傷風にかかった子供のために血清を運ぶ「紅の翼」を観ました。

紅の翼

紅の翼

  • メディア: Prime Video
 

 

裕次郎がカッコいいのは当たり前なのですが、さすが当時の大スター、日活も映画をちゃんと本気で作っているのです。

面白いです。

実は、小林旭の渡り鳥シリーズも観ているのです。これも面白いのですが、こう言っちゃあ申し訳ありませんが、製作側の姿勢がだいぶ違う。

 

で、昨日は「憎いあンちくしょう」を観たのです。

憎いあンちくしょう

憎いあンちくしょう

  • メディア: Prime Video
 

これ、当時としては、かなり斬新な作品だったのでしょう。タイトルも記憶があり、有名な作品だったのだろうと思います。

しかし、肝心のロードムービーの部分にたどり着く前に、意欲が薄れ、見るのをやめてしまいました。

ちょっと時代が違いすぎるって感じかな。

 

 

ぼくが学生の頃、テレビの映画劇場、たぶん深夜のやつだったと思うのですが、「紅の翼」「俺は待ってるぜ」「錆びたナイフ」などは観た記憶があります。これらが白黒映画だったような気がするのも、昔の白黒テレビで見たからなのですね。現物はカラーです。

現在、Prime Video には、何本か裕次郎の作品が上がっていて、「嵐を呼ぶ男」とか「幕末太陽伝」などは、観る予定にしています。

ぼくは観るつもりはありませんが、「陽の当たる坂道」や「若い人」「あした晴れるか」や「銀恋」もあります。

 

港で小さなキッチンをやりながらアメリカに行った兄貴を待っている「俺は待ってるぜ」と、宍戸錠が初っ端に列車の中で殺されてしまう「錆びたナイフ」はぜひ観たいのですが、これもそのうち登場するかもしれないです。

 

 

ところで、「憎いあンちくしょう」を途中で止めてしまったので、代わりに北欧あたりのサスペンス映画でも観ようかと思いながら「ホワイトハウス・ダウン」を観てしまいました。

ホワイトハウス・ダウン (字幕版)

ホワイトハウス・ダウン (字幕版)

  • 発売日: 2013/12/18
  • メディア: Prime Video
 

ジェイミー・フォックスが大統領を演じ、チャニング・テイタムが「ダイハード」ばりに大活躍する作品です。

 

同じようにホワイトハウスが襲われて、大統領を救うという「エンド・オブ・ホワイトハウス」も、だいぶ前に観ていますが、あれよりこっちの方が、ぼくは好きです。

期待せずに観たら、すごく楽しめたので良かったかな。