散歩の行き先は、歩き出してから決めます。
天気が良すぎて、外を歩くことにためらいが起きるくらい暑いです。
世の中のことをグダグダ思いながら歩いていると、ああ、足羽山の方へ行ってみようかなという気になりました、今日は。
足羽山の登り口の近くに、橋本左内公園というのがあります。
ここは足羽川の南側ですが、橋本左内の生家跡というのは、川の北側にあります。
死んだのは安政の大獄の時に牢屋で殺されましたから、福井ではありません。
生まれた所でも死んだ所でも無ければ、墓かな。
ぼくが橋本左内像の写真を撮っていたら、たぶん近所の人でしょうか白髪頭のおじさんが寄ってきて、ここは橋本左内先生のお墓を祀っていますと教えてくれました。
ぼくを他所から来た人だと思ったみたいで、親切なんですね。
公園には、小学生達と先生らしき人が二人来てました。
ぼくも小学校、中学校、高校(もかな?)で橋本左内という名前は何度も聞かされました。福井では教育関係は橋本左内ですね。
彼が15歳(満14歳)の時に「啓発録」というのを書いて、これを学校で何度も聞かれてきました。
学校で何度も出て来るので、逆に、橋本左内が何をした人で、どんな人なのかについては興味を無くす方向で、はい。ま、早すぎる死だったので、何かをする前に亡くなったのですが。
幕末の松平春嶽や由利公正などに興味を持ったのは、割合最近で、それでも橋本左内には興味を持ってませんでした。
蘭方医だと言うのは、恥ずかしながら、「西郷どん」で知った次第です。
足羽山に登るには暑すぎるので、登り口辺りで紫陽花の様子でも見ることにしました。
アジサイの道って言うんですよ、ここは。
ちょっと天気が良すぎて、梅雨に入った頃来ると、もっといい感じなのでしょうね。
あ、そうだ、足羽川の川原はアスファルト舗装された道があり、自転車とか走れます。
ここを体にぴっちり張り付いたスーツとヘルメット、サングラスに身を固めた人、たぶん女性が、ブレードの中にローラーを仕込んだスケートを履いて、高木姉妹のようにザーッと走り抜けて行きました。
iPhone取り出す前に、あっちへ消えて行ったので、道の写真しかありません。
なんか、前傾姿勢や腕の振り方が、それらしくってカッコよかった。