70代の真実

70代年金生活者の生活と思ってること、その他思がけないことも

「塞王の盾」すごく面白いのですが、歴史小説は大変だなと改めて思いました

166回直木賞受賞作てのは伊達ではありません。ものすごく面白かったのです。

滋賀県ですか、近江に穴太(あのう)というところがあり、石積みの技能集団がおりました。

穴太衆(あのうしゅう)と呼ばれる人たちです。

彼らが積んだ石垣は、丈夫で崩れず、城の盾となるものです。戦国時代、彼らの技術を評価し、各大名は自らの城の石垣を積んでくれと、日本中から注文が来ました。

その穴太衆の中でも、飛田屋というチームは一際腕が良く、その頭である飛田源斎は「塞王」と呼ばれました。トップ・オブ・ザ・トップなんです。

 

この話の舞台というか、時代は、織田信長から豊臣秀吉、そして関ヶ原の戦いに至るまでです。

もう少し言えば、本能寺の変から関ヶ原までって感じでしょうか。

 

「矛盾」の話です。聞いたことあるでしょう、中国の話ですね。矛と盾。

城の石垣が「盾」ならば、鉄砲(小筒、中筒、大筒)が「矛」です。

破ることの出来ない石垣と、どんなものでも破壊できる最新式の鉄砲、大筒とが対抗しあうと、どのような結果になるのか。

 

主人公は飛田匡介。

幼い頃、福井の一乗谷に家族と共に住んでいました。朝倉氏の本拠地です。

そこへ織田信長の軍勢が侵攻してきました。

両親と幼い妹と共に、匡介はお城目指して走ります。

いざとなれば、朝倉様のお城に逃げ込めば、必ず助かる。そう信じて、全ての住民がお城目指して殺到します。

集団ヒステリーのような有様の中、家族とはぐれ、匡介は一人になって走り続けますが、残念ながら既に朝倉の殿様は城を捨てて落ちていった直後でした。

「塞王を招聘して、守りを固めようという矢先なのに」という家臣の言葉が耳に入りました。

なんだ、それ?

とにかく朝倉は滅び、城はもう頼りにならないのです。

山の方から外に逃げなければ。

一人ぼっちで途方にくれる匡介を、30代半ばの武士では無い男が現れ手を引いて一緒に逃げてくれました。

その人こそ、守りを固めるために呼ばれて、仕事を始める前に織田が攻めてきて逃げている「塞王」飛田源斎です。

 

ということで、飛田源斎は匡介を引き取り育てます。

そして血のつながりのない匡介を飛田組の頭の跡継ぎと決めるのです。

匡介は、石を理解する不思議な才能があります。

匡介は、日本中の城の石垣を自分が作り、どの城も攻めても落ちないようななると、世の中から戦がなくなるという信念を抱いています。

 

さて、近江には国友衆という鉄砲作りの集団がいました。

こちらも非常に技術が高く、種子島から伝来した火縄銃をどんどん改良して、素晴らしい鉄砲を作り、これまた日本中の戦国大名から注文が舞い込むのです。

この国友衆の頭は国友三落。「砲仙」と呼ばれる名工です。

国友三落にも血の繋がっていない跡継ぎがいます。国友彦九郎です。

彦九郎は、どんな石垣を持った城でも、必ず破壊できてしまう鉄砲・大筒を全ての大名が持てば、実際に戦うということが無くなるだろうと考えています。核の傘みたいな考え方ですね。

 

矛盾

この盾と矛は、琵琶湖の水城、大津城の攻防でぶつかり合います。

ちょうど関ヶ原の戦いの直前。

家康をギリギリまで引きつけ、大津を舞台にして決戦を行おうと考えている石田三成に対し、そんなことをしたら大津はボロボロになり、領民たちが酷い目に遭うと考えた大津城主の京極高次は、一旦西軍に加わると見せかけ、結局大津城に籠り、西軍を相手に籠城戦を決意します。

 

大津城対西軍。

上杉を討とうとする徳川家康が、石田三成の企みに気付き、兵を西に率いてくるまでに、大津城攻めの西軍は城を落として、西軍本体に合流しなければなりません。

イムリミットがあるんです。

 

匡介の率いる飛田屋は、大津城に入り「懸(かかり)」を宣言します。

「懸」とは、敵が攻めている最中に、職人たちが石垣を修復したり補強したりすることです。

弾や矢が飛んでくる中作業しますから、命懸けです。

懸の最中に、ただ傷んだ箇所の修復だけではなく、新たな石垣の構築、新たな仕掛けの構築、さらには石で罠を作り誘い込んだ敵を石垣を崩してやっつけるとか、戦闘に与するような動きもします。

 

そして彦九郎率いる国友衆は、城の攻め方、西軍のために破壊力の大きな、射程距離の長い、そして狙いの正確な新式の大筒を持ち込みます。

 

ということで、盾と矛の対決が繰り広げられます。

 

 

歴史小説は大変だなあ

ストレートにすごく面白い小説なのですが、読後によく考えると、歴史小説ってのは、本当に大変な作業を伴っているんだなと気づくのです。

歴史の中のフィクション。

背景に歴史があります。

この歴史をある程度読者に認識させないと、なかなかストーリーを納得させるのが難しいのです。

 

ということで、歴史小説は、ものすごい量の説明が必要なんですね。

信長、本能寺の変明智光秀、秀吉が中国地方から兵を率いて引き返してくるまでの畿内の大名への光秀の脅し、舞台となった大津城の主である京極高次本能寺の変以降秀吉の日本完全制圧に至るまでの身の上、大津城の攻防、関ヶ原、等々の歴史の説明。

さらに石垣作りについての説明。鉄砲の説明。

 

読んでるこっちは、説明を読まされている実感は無くて、ただ小説を読んでいる感じで気楽なんですけどね。

 

ま、こういうのは、歴史小説だけじゃなくて、あっさり作者が世界の全てを作ってしまうSF、ファンタジー小説なんかも同様ですけれど。

ただ、歴史の場合、間違いを書くわけにはいかないので大変ですね。

 

ま、そんなことはどうでもいいのです。

無茶苦茶面白い小説なので、ご一読お勧めです。