昨夜は、寝る直前まで、織田信長と室町幕府最後の将軍足利義昭絡みの年表を作ってました。
表計算(わたしは、iPadで無料で使えるNumbersというアプリ)に、縦に年を並べて、横に西暦、和暦、出来事を書き込みました。こうすると分かりやすですね。
改めて実感しましたが、足利義昭を押し立てて信長が上洛したのが1568年、信長が義昭を追放したのが1573年、そして本能寺の変が1582年。
上洛から将軍を追放するまで6年間。
上洛から本能寺の変までが、15年間。
自分の人生に当てはめてみると、こんなのあっという間です。ほんの短い夢。
しみじみしてしまいました。
それとね、本能寺の変の前の月に、朝廷から信長に対して、「太政大臣、関白、征夷大将軍のうち、どれでも好きな官位を与えるので言ってちょうだいね」という使者が遣わされたのです。
信長は、返事をすることなく使者を京に帰しました。
翌月に本能寺の変が起こらなければ、信長の地位はどうなっていたのでしょうか。あるいは、そんな官位なんかに目もくれず、天皇にとって代わるつもりだったのでしょうか。
そして、秀吉の朝鮮出兵は、織田信長の明征服およびインドなどへの遠征の野望を引き継いだもののようなのですが、秀吉が関白、太政大臣という地位を得たのも、もしかするとこの朝廷から信長に対するこの提案を踏まえた上のものだったのかもしれませんね。
もしそうだとしたら、豊臣秀吉は日本を統一したのちも、織田信長に憧れ、それを目標として追い求め、生きたということなのでしょうか。
なんか、そう考えると、嬉しくてワクワクしてきました。
もうちょっと調べたり、考えたりしてから足利幕府の最後の将軍について書いてみようと思ってます。
ところで話は変わりますが、ここまできたら業者の犠牲に目をつぶり、来年の衆議院戦を睨んでGoTo中止にするのも良いかもしれないと、菅さん、思わないのでしょうか。
党利党略で動いてはいけませんけれど、時には許してあげますよ。