今日一番のニュース。良かったね。
時間がかかったみたいですが、各方面丸くおさまったってことでしょうか。
国籍が取れるまで待ってやれとか、何か特別な処置を考えろとか、いろんな意見というか勝手で無責任な外野からのヤジがありました。
ぼくは、もし日本人になるのがもっと遅くなって、しかも来年の初場所で引退に追い込まれてしまっても、鶴竜が可哀想だけど、それはそれで仕方ないのかなと思ってました。朝青龍や日馬富士みたいに、横綱まで行けてもモンゴルに帰る人もいるわけで、それぞれの人生、また別の幸せもありますし。
でも、これで安心して相撲を取って、ダメなら引退して親方になれば良いのですから良かったです。
今日の空は、こんなふうです。
晴れたり曇ったりで、夕方過ぎてから雨という予報です。
河原の方に回ってみると、ススキ。
一時、外来植物に負けて姿が消えかかりましたが、しっかり盛り返してます。
遠くを見れば、雪景色の山が見えてくる季節です。なんかの商標に使われているみたいな景色でしょ。
昨日の夜、寝床に入る直前に、「信長と将軍義昭」を読了しました。
ここんところ連続で、この辺りの本、学者たちが書いたのを読んでいますが、面白いです。
読んだ本に共通なのは、足利義昭は、ただの織田信長の傀儡では無いという見方です。
どうも、最近は、これが有力説になっている感じです。
このブログで、室町幕府の終わりの頃の将軍たちについて書いたのを読んでいただくと、この終わりっころの将軍たちは、その時代の実力者たちによって振り回され、身の上が風の中の枯れ葉のようにひらひらコロコロと変化しています。
でも、そんな将軍たちを、やはり将軍としての地位に据えているのです。
日本全国を権力を持って統治しているわけではありませんが、将軍は将軍としての役割と値打ちがあったのです。
そうでなかったら、室町幕府はもっと早く滅びていました。
当初、信長は将軍にとって代わろうという気が無かったような気がするのです。
ぼくの勝手な感覚なのですが。
かと言って、それ以前の将軍の時の、細川氏たちのように、管領という地位について天下を支配するという感じでもありませんでした。
信長は何が目的だったのでしょうか。これ、もうちょっと調べてみようと思っています。
足利義昭は織田信長の力によって、京に上洛し、15代将軍となりました。大河ドラマの「麒麟がくる」が描いているように、信長との蜜月時代から反目の時代になり、敵対し、そして信長によって追放されます。
信長は、将軍は将軍として置いておけば良いと考えていたみたいな感じです。追放は、将軍があんまり信長に敵対し、ついには兵をあげるという事態にまでなった結果です。それでも殺しはせずに、秀吉に大阪まで送って行かせての追放という処置です。
この時代、天下というのは畿内エリアを指し、この畿内エリアの統治は将軍の仕事でした。もちろん、畿内それぞれに大名がいたのですよ。
信長のおかげで将軍になれた義昭も、将軍としての権限を持ち、それなりに収入もあったようです。家来もいましたし。
あんまり義昭の性格に問題があるので、信長も手を焼いたような感じです。
もう一冊「織田信長合戦全録」を読み終えたら、ちょっと年表を整理して、一体、織田信長は何を目的に動きを始めたのかを考えてみたいです。
「麒麟がくる」では、「褒めてもらえるから」という動機が提示されましたね。
この辺り、とても不思議で興味を引かれます。
とにかく、始めから天下統一を目指して動き出したような気がしないのです。