ELSの終了
夏には、ぼくはELSを終了してしまいました。
ま、設定としては、大学の授業を聞いて勉強出来るレベルだそうです。
ノートの取り方も教えてもらっています。
自分でも、英語はなんとかなりそうな気がしました。
ましてや、専門的なことになると、用語が馴染みのあるものが多くなるので、かえって一般的な事項よりも、英語的には易しくなります。
さて、目的のミッションである研修は、秋なので、まだ2ヶ月ほど先です。
どうしようか、一旦日本に帰るべきか、日本に問い合わせました。
向こうからの指示は、帰るな、研修が始まるまでアメリカにいろというものでした。
日本に帰ると、英語が退化するし、往復の飛行機代がもったいない、ということです。
さて、完全にロングバケーションとなりました。
オイルクライシス
79年は、オイルクライシスでした。
その時の日本語の言い方で、どう言うのか、ぼくは知りませんが、石油が制限された状態になりました。
夏頃には、ガソリンも奇数日には奇数ナンバーの車にだけ、偶数日は偶数ナンバーの車にだけ給油出来るというようになりました。
給油は二日に一日しか出来ないという事です。
これ長距離移動の時に、だいぶ困りますよ。
長い旅行の始まり
ぼくは気がすむまで旅行をしようと思いました。
気がすむまでいたい所はニューヨークシティ。
そして、他の日本人生徒たちは、転校の時期を迎えたようでした。
飽きるまでニューヨークに行こうかなと言っているぼくに、Mくんは一緒に行くと言います。
彼も一月近く旅行してから、デンバーあたりのELSに行くつもりだそうです。
そして、もう一人の日本人Rくんは、ボストンに転校するので、その移動のついでにニューヨークに3日ほど行きたいので、車に乗せてくれと言います。
ということで、ぼくたち3人は、車に乗り、ニューヨークを目指して出発しました。
オイルクライシスについては、簡単に考えており、奇数・偶数についても、それほど厳格に適用されないだろうと思っていました。
すごく甘かったです。
どのガソリンスタンドも、規則に忠実でした。
たった一軒だけは、商売だからと入れてくれましたが、あとは全滅。
エアコン切って走りました。
これ、こんなに燃費に影響するとは、初めて知りました。
もう憶えてないのですが、ガソリンを入れられない日に出発したのでしょうか?
ものすごく心配して走りました。
途中、どこかで泊まったんだろうと思うのですが、全然記憶にありません。
とにかく、もうじきマンハッタンに着くという辺りで、残りのガソリンの量を見て、ああ良かったと思ったのだけは、憶えています。
マンハッタンでの宿は、ホテルタフト。
安いと聞いている二軒のホテルのうちの一軒です。
今はもう無いかもしれませんが、当時は、タイムズスクエアのシェラトンの並びに、古くて大きなホテルがありました。
ホテルのフロントで、ぼくとMくんの2人はチェックアウトの予定が決まっていないこと、Rくんは3日しかいないこと、その3日間はツインの部屋に予備のベッドを入れて、三人泊まること、そしてRくんは、出て行く時に彼の分だけ清算することを説明しました。
Rくんが出たら、予備のベッドはさっさと部屋から片付けてくれと言うことも頼みました。
問題なく部屋が取れたので、車をホテルに預けて、駐車場にしまってもらいました。
さあ、ニューヨーク。飽きるまでニューヨークです。