松は生まれてすぐに両親を亡くしたらしい。
平戸の立派な商家の親戚の家で、下人よりもひどくこき使われていた。
彼女が15になった頃、男どもがやってきて親戚夫婦を惨殺した。
「汚ねえなりだが、面は悪かねえ」
松を見て髭面の大男が日本語で言った。明人の訛りだ。
遊郭に売り飛ばそうと男が言った。
松は、自分の腕を掴んだ男の股間を蹴り上げ、そいつの剣を引き抜いた。
その剣を振り回しているうちに、痺れるような快感が松の全身に満ちていた。
今、あたしはどこにでも行けるのではないか。
しかし、結局、松の振るう剣は弾かれ、髭面の大男の抜き身の剣先が松の胸に押し当てられた。
「陸で、男に女の体を売る。それとも海で、男も女も皆切り捨てる。どっちがいい」
男に問われて、松は自分の身の振り方を生まれて初めて自分で選んだ。
「海がいい」
こうして綺麗な顔だけど女にしては体格のいい松は、明人の海賊船に乗り、長い野太刀を選び、海賊船が獲物の船に横付けした時に一番最初に相手の船に飛び移り相手を一人斬ったら、あとは遊んでいてもいいという役割を得たのです。
最初に言いますが、この作品、面白いです。
「国姓爺合戦」ってご存知ですか?
近松門左衛門の書いたのは「国性爺合戦」で一文字変えてあります。
この主人公、日本人と明人のハーフにして中国と台湾の英雄、国姓爺と呼ばれた鄭成功(テエ・シンコン)のお話なのです。
冒頭登場する、日本人女性の松は、その名前の音「マツ」から「マーツォ」(媽祖)と呼ばれます。
媽祖(マーツォ)とは明の船乗りの女神です。そう、海の神様、海神です。
彼女は明の海賊の頭領、甲螺(カーレ)の一族である鄭芝龍(テエ・チーリョン)と恋仲になり、長男福松を産み、さらに次男が腹にいる時に夫である鄭芝龍を殺し、日本を離れます。子供たちは、日本の信用できる人の許に預けて。
そして、明で、殺した夫の名前鄭芝龍を使い、海賊たちの甲螺(カーレ)すなわち親玉となるのです。
主人公の母、松がなかなか魅力的です。
時代は、ちょうど明が清に滅ぼされる頃です。
舞台は中国。
正直、松の長男である福松が、長じて鄭成功(テエ・シンコン)となり、滅びた明を再興させ清に対抗しようと活躍する、本作後半、まさしく国姓爺合戦のあたりから、ちょっとつまらなくなります。でも、それは実際、国姓爺が清に負けるのは史実ですし、分量にして本作の3分の1くらいだし、ひどくつまらないわけではありませんから。
この前、ここで書きましたように、ぼくは登場人物の名前や、中国語の役職みたいなもののリストを作りながら読んでいて、かなり辛い読書ではあったのですが、それ以上にお話の面白さに引きずられて読み進みましたから、やはり面白い作品なのだと思います。
母親が作った、どこにも居場所のないものたちが明後日くらいまでは長生きできる場所、鄭家を守りたいと息子は思ったのです。
しかし、息子は息子なりに理想があり、母を裏切るような形になってしまいます。
幸せだったのか不幸だったのか、最後、ちょっと考えてしまいますが、福松は華々しく戦い、やがて手に入れた台湾で病死するのです。
最後、ちょっと寂しい気持ちにもなるのですが、十分楽しんで読める作品でした。
帯に書かれていることの一部はこうです
明日をも知れぬ海賊が、どこにもいられぬ者たちのために戦う。
海賊から皇帝になろうとした男・鄭成功は、陸(おか)の支配に抗い、海に何を求め、なぜ戦い続けたのか。
天命さえも、海に呑め