その1に引き続き、細野祐二著「会計と犯罪」を読んで、ぼくが面白いと思った点について、同書からの引用等行いながら紹介していきます。
厚労省塩田部長に対する取り調べ
さて、検察が行った塩田部長に対する取り調べのあらましは
石井国会議員から依頼の電話があっただろうと検事は質問しました。
これに対して、塩田部長は記憶にないと答えます。実際無かったのですから。
検事は、石井議員から塩田部長に掛かってきた電話の交信記録がある(実際には無い)と圧をかけ、電話があった旨の自白調書に塩田部長の署名を取りました。
当時塩田部長は別件で職務に絡む金銭授受があり、この件で事実を主張すると、そっちの件で逮捕される可能性がありました。このため検察の誘導に従い、村木課長に対して便宜供与の指示を行ったと自供しました。
塩田部長はなんの罪にも問われず、役所を退職し、故郷で町長になりました。
倉沢元会長
倉沢は、石井議員との関係が強いのを評価されて「凛の会」の会長になりました。
しかし、実際は大した関係では無かったようです。
だから石井議員との関係を使って公的証明書の発行をしてもらってくれと頼まれて、引き受けました。
ただ、その1で書きましたように、石井議員には会ってもらえず、しかし他の人たちには石井議員とのの関係が深いと吹聴していたので、頼んで公的証明書をもらえるように手を回したと嘘をついていたのです。
村木厚子課長が無罪判決をとれた理由
ご本人が書かれた本「私は負けない」において、自分が無罪判決をとれた理由について書いています。
- 心身とも健康で、拘置所の生活でも健康を崩すことがなかった
- 収入の安定した夫がいて、自分が収入を無くしても家族の生活を心配する必要がなかった。
- 素晴らしい弁護団に巡り合えた
- 「客観証拠」を重視する裁判官が公判の担当だった
- 家族が自分を信じて一緒に戦ってくれた
- 多くの友人、職場の仲間が、サポートしてくれた
担当した弁護士は、弘中惇一郎。有名で実績のある弁護士です。カルロス・ゴーンも依頼しました。
本件の担当裁判官は、大阪地方裁判所第12刑事部の横田信之裁判長です。わざわざ「客観証拠を重視する」という形容詞が付くところが、どうです?ちょっと怖い現実がありそうです。
検面調書(検察官面前調書の略です。Wikipediaには、刑事事件において検察官の面前における供述を録取した書面をいうと書いてあります)を信用する裁判官が多い中で、客観証拠を重視する裁判官などそうそういない、と著者は言い切っています。
「99.9」ってタイトルのドラマがありましたでしょ。弁護士が主人公の。あのタイトルは、刑事事件で検察が勝つ確率から採っているとのことでしたね。
そう、ほとんど検察の勝ち。だって、検察が作った検面調書が絶対的に信用されるのですから当たり前です。
だから、客観証拠を重要視する裁判官は珍しいと言うのです。
怖いですね。
それと、上記の1と2の理由ですが、一旦捕まると、ゴーンの事件でもそうですが、ずっと検察に居させられます。健康で無いと、自白を迫る検察に負けてしまいます。また、収入が途絶えている状況の中で、検察の求めるように答えて、一刻も早く家に帰り、収入を確保して家族を養わなければならない人がほとんどでしょ。
冤罪のタネはすごくたくさん転がっています。
村木課厚子さんの書いた本の中で、上記の理由の後に書かれている文章を引用します。
別の言い方をすれば、こうした多くの幸運が重ならないと、いったん逮捕され、起訴されれば無罪を取ることは難しいのです。
裁判というもの
自身も粉飾事件の被告として裁判を闘い、結果的に有罪とされた著者が、「裁判」というものについての分析的な文章をいくつかこの本の中で書いています。
それを引用して紹介します。
裁判ではより説得力のあるストーリーを描いた方が勝つ
多くの人が誤解しているが、裁判は事件の真実を明らかにする場ではない。
裁判所は事実を明らかにするための調査機能を持ってない。
裁判はあくまでも検察側と弁護側がそれぞれの主張を証拠により立証し、裁判所がその信用性を評価することによって判決が出る。
裁判官の心証が、より説得力のあるストーリーを描く側に傾くのは、当たり前のことだ。
冒頭陳述は、検察側のストーリーで、これに説得力を持たせるために、検察は膨大な費用と時間を使って検面調書という証拠を集積する。
しかし、弁護側は一般に弁護側ストーリーを示さない。そのための調査を行うにはコストが掛かりすぎて、被告人がその経済的負担に耐えられないからだ。
弁護側は、検察官立証に反証を加えるだけで公判を終える。
だから、日本の刑事事件で弁護側は勝てない。
村木事件の場合は、実行犯の上村係長が、「私が誰の指示もなく単独で作成しました」という証言をしてくれました。
ただ、弁護団も基礎調査を手弁当で行い、弁護側ストーリーを示し、それに沿った実行犯の証言があったということです。
経済事件は故意犯で、過失犯を罪に問わない
つまり、犯罪事実と被告人の故意が両立しなければ罪に問わないということです。
で、弁護士は、被告人の故意が無かったということを中心に争う傾向にあるということです。
これは、犯罪事実については検察が立件した以上、争っても勝ち目が薄いこと、犯罪事実を争うのは検察の立件の全否定の真っ向勝負、負けの確率は99.9%だし、あとで執行猶予を狙うときに報復があり得る。という思考の結果。
しかし、故意性なんか、心の中のことでよくわからないし、被告人の故意を裏付ける検面調書が次々と出てきて、故意性だけで争うと、弁護側の勝つ可能性は限りなくゼロ。
だから、犯罪事実を争わないと勝ち目がない。
村木事件は、犯罪事実を争って勝った。
この事件における検察の罪
証拠の改竄ですから、ちゃんと起訴されて罰も受けています。
悪い人じゃないけど、検察のメンツとかいろいろあって、プレッシャーも受けてのことみたいです。
あ、やっぱ悪い人なんですけどね。
ジャーナリストの江川紹子のメモを引用すれば、この検事たちの裁判の時に、國井検事が同僚宛のメールで
ブツを改竄するというのは聞いたことがないが、一般論として、言ってもないことを検面調書にすることはよくある。
証拠を作り上げたり、もみ消したりするという点では同じ。
前田検事を糾弾できるほどきれいなことばかりしてきたのか、考えると分からなくなる。
だって。
裁かれていた大坪特捜部長の発言。
「この村木公判も、有罪を取りさえすれば問題にならない」
「前田くんの改竄だってわからないんだ」
「だから公判は積極的に攻めていくんだ」
著者は、大坪特捜部長は、客観証拠と検面調書が矛盾した場合、客観証拠が間違っているとして、検面調書を優先させるべきことは揺るぎないと考えていると断じています。
この思想は、特捜検察固有の思想になっているとも。
やっぱ怖いですね
とにかく一旦、こいつを犯人にしようと決められると、ちょっと抵抗のしようが無さそうです。
検察の満足する自供をしないと、家に帰れないし。
ゴーンの事件では、さすがに日本人のぼくも、ちょっとひどいと思ってしまいました。
優秀な弁護士も、忙しいからやってもらえるかどうかわかりません。
報酬も高いみたいです。
それに、あっちもある程度の勝つ可能性や、その事件を手掛けることによる世間から得られる評価などを考慮して引き受けるのですから、金をいくら出しても相手にしてもらえないこともあるでしょう。
怖いのです。
経済事件は、いつ自分に火の粉が降りかかるかわからないですしね。
村木厚子さんなんて、全く身に覚えもなく、そんなことが行われていたことも知らないのに被告にされちゃったのでした。
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