ぼくが大学に行ってた頃、地方出身の学生のほとんどは下宿に住んでいました。
下宿といっても、当時は食事付きのところは人気が無くて、ほとんどがトイレと洗面所が共用の間借りだけという形式が多かったです。
アパートとの違いは、家主が同じ建物内に住んでいること、家主(大家)の玄関を使用していることなどでしょうか。結構、大家との接触がありました。
ぼくの通っていた大学は、キャンパスがいくつかに点在しており、本部キャンパスから大きめの道路などを隔てて西の方にある文学部キャンパスの前を西向かって歩くと、そのキャンパスの端の空き地に結構有名なジャズバンドの部室があって、その部室小屋の前でアルトサックス持った部員がチャーリー・パーカーの「クールブルース」なんかを軽く吹いてたりしてました。
さらに西に進むと、戦争直後に進駐軍の兵士の住宅がいくつも建てられていた原っぱが残っていました。なんとかハイツと呼ばれた大きな原っぱです。
その原っぱの草の陰にはたくさんの野良猫がいて、毎日大きな紙袋を両手に持ったネコおばさんが餌を持ってくるのを待っているのです。
ぼくは、その原っぱの真ん中を通る小道を通って学校から帰ってきます。
小道はやがて車が走れる道路に突き当たり、その道路の向こう側は少し高くなった土地の法面で、短い石段がついてます。
石段を上がると、学生用の下宿街。住宅地なのですが、ほとんどの家が下宿でした。
ぼくの住んでいたのは石段を上がってすぐの下宿の二階。
八部屋ほど下宿人がいて、大家一家は一階に住んでました。
アパートと違い、下宿人同士のつながりがあり、みんなで一緒に銭湯に行ったり、金があるやつが一本五百円(当時)のジンを買ってきてみんなで飲んだりとか、けっこう一体感がありました。
その下宿の二階の北側の部屋には、ぼくと同期の学生がいて、友達になりました。
そいつと四年間同じ下宿に住んで、ぼくらはいろんな話をしました。
将来こうしたいああしたいとか、夢も。
今になって不思議だなと思うのですが、ぼくがそいつと語ったことは、ほとんど実現しました。
無責任な世間知らずの学生の思いついた夢なんですけどね。運が良い男なんです、ぼくは。
でも、胸の奥に仕舞って口に出さなかったことは実現してませんけどね。
何でも口にしないとダメですね。口に出さない望みって本気じゃ無いのでしょう。
人生の終わりには何も仕事せずに毎日を好きなように暮らすとさ、というのがそいつに語ったぼくの最終的な希望です。
気がつけば、あまり贅沢はできませんけど、これも今実現しているじゃないですか。
良い人生でした。感謝して、文句は言わずに過ごしましょう。
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