昔、ぼくが東京で働いていた頃です。
ある日仕事が終わってJR(当時は国電だったかも)の駅の売店で、とても衝撃的な第一面見出しを見て、ま、見出しに関わらず毎夕買ってるのですが、ぼくはその東スポを買いました。
東スポはご存知の通り夕刊紙で、仕事終わりくらいの時間帯に駅の売店の筒状の新聞スタンドに上の方が広がるように丸められて刺さっています。ちょうど一面の見出しが見えるんです。
新聞紙は上下二つに折られて、上の方が見えるようにして置いてあるでしょ。
で、大きな文字の縦書きの見出しに惹かれて東スポを買い、折り目を広げて下半分を見ると、大見出しの最後の数文字を見ることができ、その最後の方は大概「か?」てのがお決まりでした。
こう言っちゃあ申し訳ないけど、割と良い加減な態度なんです。そういうところが好きでした。
その東スポ第一面大見出しは、今でも覚えているのが「猪木が死んだ?」てやつです。もちろん「?」は下半分に印刷してあり、スタンドでは「猪木が死んだ」という部分だけが見えてました。
アントニオ猪木がハルク・ホーガンとの試合で失神したのです。舌を巻き込んで窒息しないように、セコンドの選手ら長い舌を引き出して、それが目を閉じた猪木の口からだらりとぶら下がっている写真があって、インパクトありました。
「もっとハードに来い」と試合中に猪木が何回も言うから、思い切り行ってしまった、なんてホーガンのコメントが書いてありました。
衝撃的な記事でした。
場外でホーガンのアックスボンバーという技を喰らって、後ろに飛ばされた猪木の後頭部がリングの四隅を支える金属のポールにぶつかって失神したとのことでした。
今になって、あれは猪木の芝居で「担架に乗って上に毛布をかけられて病院に運ばれたのは俺です」という前田日明の告白がYouTube動画で出ていますね。
プロレスは大人のおとぎ話なんです。
ハルク・ホーガンが初めて新日本プロレスのリングに上がった時、その体格と金髪のロン毛、長い口髭という見た目の印象が強く心に残りました。かっこよかったです。
2メートルの身長でボディビルダー的な体ですから。
どこかのビーチで遊んでいるのを捕まえてプロレスデビューさせたのかな、と思いました。
調べたらロックバンドでベース弾いてたらしいから、当たらずとも遠からじ。
見た目重視のプロレスラーって多いから、こいつもそういうのかと思ったら、結構良い感じのレスラーで、フロリダのヒロ・マツダがコーチしてたらしい。来日のたびに良くなってました。
割合真面目なんでしょうね。
当時の日本で外人レスラーのトップを張っていたスタン・ハンセンよりもスター性がありました。汚くないしね。アメリカのマーケットではハンセンよりもだいぶ上の扱いだったような気がしました。
「ロッキー」にも出演しましたが、その他のB級映画主演もありました。
プロレスラーであるホーガンが悪い奴らをやっつけるという変な映画を見た覚えがあります。
向こうの画像を見てたら、どうも「アックスボンバー」という決め技は日本用のものだったみたいですね。ハンセンの「ウェスタンラリアット」があんまり日本で人気があったので、それによく似た技を日本マーケット用に開発したみたい。
WWEのリングで、手をくるくる回して観客の声援を煽って、手のひらを耳に当てて「さあ、大きな声で応援してくれてるかな?」みたいな感じのジェスチャーをして見せてくれるのが好きでした。
日本では日本の客が、アメリカではアメリカの客が、その土地のファンが喜ぶようにしてたのですね。そういうところがスターなんです。
晩年、娘の友達と不倫して離婚されたり、その後もまた離婚、その後別の彼女がいたとかいなかったとか、個人生活はあんまり幸せではなかったみたいですけども。
死因がよくわからない。
フロリダ州のクリアウォーターの自宅で亡くなったんです。
この地名を見て、「クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル」というバンドの名前を思い出しちゃった。そう「雨を見たかい」です。
このバンドの名前と、ホーガンの自宅があった地名とは関係無いようです。
だけど、ぼくは「雨を見たかい」のメロディーが頭に浮かんで、それを聴きながらホーガンのことを思い出してました。
ご冥福を。
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