夏休みには夏休みの友と絵日記なんて課題があったのを、さっき思い出しました。
あの絵日記ってのは、どのような教育的目的があったのでしょうか?
記録をつける、あるいは作文的なってことなら、絵が無い、普通の日記を書かせれば良いでしょ。
なんでわざわざ絵日記なんでしょか?
これまた思い出しましたが、ぼくは小学校の頃の国語の時間が嫌いでした。
作文とか詩とか書かされましたけど、あれちゃんと教えてもらった覚えがありません。
「よく気持ちが書かれている」とか、なんか具体的なことでは無くて、情緒的なことしか聞かされずに、何が良い文章なのか、ついぞわからないままだったからです。
どんなのが良い文章なのか、なぜ良い文章なのか、どうすれば良い文章なのか、先生は教えてくれることがありませんでした。
日記についても、日記の目的について教えてもらえないまま小学校を卒業しました。
なんでぼくらの絵日記を先生は読むのでしょうか?
ぼくらは絵日記を書くとどんな良いことがあるんでしょうか?
たぶん絵日記に点数をつけられることは無いのだろうと思うのですけど、もし良い絵日記とダメな絵日記があるとするならば、その違いはどこにあるのか、何にあるのか、ぼくは知りません。
そんなことは気にしなくて良いんだよ、毎日絵日記をつけると、自分の夏休みがどんなに楽しかったのか思い出せるでしょう、なんてことも先生たちは言いませんでした。
はい、ぼくは先生というものが嫌いなんです。
悪い子ですね。
ま、そんなこんなでいまだに絵日記を書くことについて理由がわかって無いのです。
絵も下手ですし。
それでも、大人になって日記は書かないけど、日誌は書いてました。
あれやこれや毎日の出来事、会った人、もらった或いは渡した書類、頼んだこと、頼まれたこと、会話の要旨等、毎日せっせと書いてました。書いておかないと仕事がヤバくなるんです。
忙しかったですからね。
今はスマホとかあるから、そういう日誌をスマホの中に書いて、写真も一緒につけておけるので便利ですね、絵日誌。写真付きの日誌。場合によっては音や動画やURLもついてます。
残念ながら、そんな便利になった時代にはぼくは仕事を辞めてますから、写真付きの日誌を仕事の補助に使うことはありませんでした。今の人は便利で良いですね。
まあ、そういう頃に、ぼくは子供の頃みたいに絵日記てのを書いてみると面白いかもしれないなと思うようになってます。
そういうことがもしかすると楽しみになるかもしれないよと、小学校の頃の先生たちは教えてくれようとしていたのかもしれないですね。
ちゃんと言ってくれれば良かったのに。
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