70代の真実

70代年金生活者の生活と思ってること、その他思がけないことも

勝小吉は勝海舟の父ちゃんです。あの「小吉の女房」の古田新太です。

今、この本を開いてます。

上の紹介画像では、作者:勝海舟、勝小吉となってますが、それは氷川清話と夢酔独言のそれぞれの作者の名前ですね。

この本自体は、川崎宏さんという2009年に亡くなった先生(高校教師の後に女子短大の教授)が編したものです。

 

ご存知の通り、勝小吉は勝海舟の父ちゃんです。

先日からNHK総合で「小吉の女房2」が放送されてますが、その小吉です。

正直、彼一本で十分興味を引きますし、魅力的です。

 

で、勝小吉は旗本ですが、生涯なんの役にもつけませんでした。

旗本の一番下あたり、ほとんど御家人に近いような。

その息子ですから、勝海舟も底辺の存在、前から申しているように、なんでそんなに短時間で出世したのかに、ぼくは疑問と興味を持ってます。なんせ幕末では幕府の全ての始末をつけた人なんですから。

 

ま、それはそれとして、今日は勝小吉の話でもしましょうか。

 

米山検校

後に米山検校として知られるこの人の元の名前はぼくは知りません。

とにかく越後あたりの貧乏百姓のうまれ、なんとかしようと江戸に出てきたのですが、結局行き倒れてしまいます。

この人、視覚障害者です。

そこを通りかかったのが奥医師の石坂さん。

助けてもらい、この人から教わって鍼医師になりました。

 

検校ってかなり上の方の役なので、貧農出身者の行き倒れが、普通にやっててたどり着けるとは思えないのですが。

 

とにかくこの人、お金の扱いというか、金儲けが得意だったのです。

鍼医師で儲けた金を持って賭場に出入りして才能が開花したみたいなことも書いてありますが、果たして博打で儲けたのでしょうか?

座頭市が賭場で博打をするシーンはありますが、視覚障害者が博打で儲けるってあるんでしょうか?

よくわかりませんが、この米山検校って金貸で財を成してます。もしかして賭場で金を貸してたのかな?

大名にも貸したらしいので、最終的に太い金貸になりました。

 

で、金があるから1769年に、旗本の株を買ってしまいます。

男谷という家です。

金に困れば、旗本の地位も売ります。

米山検校は、自分の息子を旗本にしました。

旗本になった男谷平蔵。これが、勝小吉の父親です。

小吉は米山検校の孫です。

 

 

男谷から勝へ

小吉は旗本・男谷平蔵が外に作った妾の子供、三男になります。

本宅の正妻に引き取られて、乳母に育てられました。

上に兄がいますから、男谷の家を継ぐことは無いのです。

 

旗本の勝甚三郎という人がいて、ここの子供はまだ小さな娘が一人。子供なので婿が取れる歳ではありません。

で、勝甚三郎さんが死んじゃうんです。

跡継ぎがいなければ、家は断絶。

ということで、慌てて養子を迎えました。

この養子に行ったのがが小吉。男谷から勝に変わります。5歳でした。

 

ちなみに、男谷家は100石で勝家は41石。

収入は半分以下ですが、養子に出なかったら、そもそも給料すら無い居候状態でした。

 

幕末の剣豪

いくつかの小説にも登場する幕末の剣豪と言えば、島田虎之助です。

この島田虎之助の師匠が、剣客 男谷信友です。

そう男谷と言えば、あれ? 勝小吉も元は男谷。

そうです。男谷信友は血縁上は勝小吉の従兄弟です。後で男谷信友は親戚の中で養子に行って、最終的に勝小吉の甥となります。

 

で、勝小吉もすごく強かったようです。

本当なのかどうなのかわからんですが、勝小吉は男谷信友を片手で捻ったという話が残ってます。喧嘩で右に出るもの無し。幕末最強。

 

ちなみに、勝海舟は島田虎之助の弟子でした。この人も剣術はかなりの腕です。

 

破天荒というか無法者というかヤクザみたいな

勝小吉は生涯なんの役目ももらえませんでした。

子供の頃から悪ガキでーと歌いたくなるような人です。

喧嘩ばかりしていたような。

 

13くらいの頃に江戸を出奔し、上方に向かい泥棒にやられて無一文になり、コジキをしながら伊勢まで行って、乞食仲間や賭場の親分に助けられて江戸に帰ったりしてます。

18の時に、勝家の実娘 信と結婚しました。双方とも大人になったんです。

そんでも3年後に、小吉はまた江戸を出奔します。

道中、いろんな人を騙しながらの旅だったそうです。知り合いのところにやっかいになりましたが、江戸から迎えが来て戻れと懇願され、仕方ないので江戸に戻ります。

 

男谷の家には座敷牢があったんですね。このどうしようもない小吉を座敷牢に入れたのです。

しかし、小吉が座敷牢に入れられている間に妻の信は勝海舟を身籠ることができたのですから、そういう事ができる程度の、それほどひどい監禁状態でもなかったのでしょう。

 

勝小吉は役をもらえませんでしたが、最低の給金は入ってきて、それだけでは大変なので刀剣の目利きをしたりして収入を図ってました。

で、よその家のトラブルの解決なんぞも割合得意で、いろんなところに首を突っ込んでました。そういうのが上手かったようです。

ちょっとおどろくのですが、あの「小吉の女房」の古田新太の行動って、かなり資料に忠実みたいです。

ただ、夫婦仲はあんなに良くは無かったみたいですけれど。

で、喧嘩の仲裁なんかもしてましたから、はっきり言えば、地回り。侍ですから地回りとは言いませんが、やってることはそういうことだったのだと思います。

 

小吉38歳、海舟17歳の時に、勝小吉は家督を息子海舟に譲り、隠居しました。

小吉は名前を夢酔と改名します。

そのうち鶯谷に庵をむすび、「夢酔独言」を書きました。

おれほどの馬鹿な者は世の中にもあんまり有るまいと思う。故に孫や曾孫のために話して聞かせてやるが、よくよく不法者、馬鹿者のいましめにするがいいぜ。

てなことで、己の半生を語っていきます。

この独言があるおかげで、勝小吉の面白い生き様が、いろんな小説やドラマのネタになっています。

かなり面白く、興味深い人物です。

 

で、この親にしてこの子ありってところも勝海舟に見られるんですが、それはもっとよく調べてから。