インターネットは、とても便利だなと思っています。
憲法記念日に、日本国憲法を読んでみようかなと思ったら、手軽に読めます。
やはり読んでみた方が良いと思います。
素直な気持ちで、なんの先入観も無く。
もし、誰かの囁きで、先入観が拭えないのなら、時間を置いても読むことができます。
スマホやパソコンさえあれば。
全く、先入観や刷り込みを廃して読めることができたら、素直な感想を持ちましょう。
これは、ぼくたちの憲法です。
大事なんだと思うんですよ。
一度、読むべきです。
ぼくが小学校に行っていた頃、学年ごとに、何回も憲法について考えるみたいな時間がありました。
目的は、戦争を放棄しても国は守られるんだということの刷り込みです。
戦後も思想教育はなされてきました。
ぼくは素直な良い子でしたから、軍隊で守らなくても、外交で他の国と仲良くしていれば、日本は危険なことにはならないという思想教育を素直に受け入れてました。
まあ、憲法の9条を2項まで読んでご覧なさい。
1項は美しいと思いますが、2項は、ガラリと変わって醜いです。
あれ、平和を謳っているんじゃなくて、単純に無条件降伏を文章にしただけのものです。
別に、他の条文をどうこうじゃなくて、やはり9条は日本国民として、ニュートラルな感覚で考えてみるべきです。
だって、あれ、1項は綺麗だけどナンセンスでしょ。
戦争って、一つの国だけが行うものではありません。片方が戦争放棄だと言っても、もう片方は「へえ、そうかい」と言いながら、暴力を振るい続けることはあります。
戦争って、個人間の喧嘩とは全く違うものですから。
外交の力なんて、それ単独ではなんの意味もないのは、今の韓国との関係で思い知らされているでしょう。
いつまでもアメリカの属国として、アメリカの極東における不沈空母として存在している限り、守ってもらえかもしれませんけども、状況は変わるですよ。
みんなで考えて、そのままが良いと考える人が多いのだったら、そのままでも良いのです。
覚悟を自分で決めれれば、後で後悔せずにいられます。
だけど、愚かな国民には、憲法を考える権利は無いと言われると、ちょっと頭にきます。
ある日、アメリカが「祖国の利益を考えると、今は極東から手を引いた方が良いという結論に達した」と言いながら、引き上げていくことは、現実的な可能性としてあることぐらい、昨今の状況を見てると想像できるでしょ。
その時に、自分たちの命や財産、誇りみたいなものがどうなっていくのか、もう理解できないくらいに日本人はなってしまったのかも知れないという可能性を、現在、ぼくは認識しています。
ついでに、1条から8条も削除したほうが良いかもしれないと、最近の結婚問題を見ているときに、ふと思ってしまったりもしますけど。
ツツジ綺麗ですね。