図書館に予約を入れておいて、ようやく順番が回ってきました。
今年の2月26日初版刊行です。
予備知識
ちなみに、若い方達のために書いておくと、ブルーボーイてのは、今で言うオカマ或いはニューハーフてことだと思います。
ついでに説明しておきますと、昔はキャバレーというところがありました。キャバクラではありません。
キャバレーというのは、ホステス達に相手をしてもらいながら飲むのですが、場所が大きいのです。ステージがあって、歌ったり踊ったりのショーを見ながら時を過ごす場所です。
小説が書かれるに至る経緯
前も書きましたが、作者の桜木紫乃さんが、大竹まことのラジオ番組に出演したのです。桜木紫乃さんは釧路です。
で、大竹まことが北海道と言えばと、昔の話をしました。
若い頃、年末から年始にかけて、北海道のキャバレーに師匠と一緒に仕事に行きました。
正月三ヶ日は店は休みになり、本来は芸人達も家に帰れば良いのですが、旅費がもったいないので帰らずに正月をそこで過ごしました。
何もやることが無いので、師匠が海を見に行こうと言い出し、一緒に行ったのですが、その時に店に出演しているブルーボーイとストリッパーの四人で行きました。
なんて話を桜木さんが聞いて、「あ、それいただきます」と言い出しました。
「俺と師匠とブルーボーイとストリッパーというので小説に書かせてもらいます」と番組内で宣言。
という経緯で書かれた作品です。
もしかすると「ススキノ104」というのも、そのうち書かれるかもしれません。
ちなみに、桜木紫乃さん「わたし変な妄想ばかりしているので、とても他の人に頭の中を見せられないです」なんておっしゃってました。
この小説の四人
桜木紫乃さんが「いただいた」のはタイトルで、中身は彼女の妄想から出来上がっています。
舞台は、釧路。釧路の「パラダイス」というキャバレーです。
時代は、ダウンタウンブギウギバンドの「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」なんかが流行ったりした時代です。
主人公の「俺」は、名倉章介。二十歳。「パラダイス」の雑用のアルバイトをしています。
170センチ50キロのひょろりとした体格です。
父親は、負けてばかりの博打うち。そういうわけで、中学を卒業してからは左官屋に勤めたり色々した挙句、家から出て、今は「パラダイス」の寮に住んでいます。
この寮、古くて汚くて寒い。元々は他所から流れてくる出演芸人用の宿泊所だったのですが、あんまりひどい状態なので、誰も泊まりません。
ということで、今は章介が一人で住んでいます。
ある日、父親が死んだと母親から電話がありましたが、章介は葬式に行きませんでした。
しかし、ある朝、起きて1階の入り口の横のトイレに行くと、トイレのドアの前に小さな骨箱と母からの手紙を発見します。
母親は、長い間博打うちの夫につくして、今ようやく自由になりました。どこかで新しい生活を始めます。お骨は荷物になるので、よろしくお願いします、だって。
章介はとりあえず、自分が使っている部屋にお骨を置いときます。
あんまり気にしないタイプなんですね章介は。他人のことも気にならないし、自分のことも気にならないのでしょう。キャバレーのホステスさんに親切にされて、ご飯食べさせてもらったりして、結果、まあ夜伽もこなすのですが、ヒモには向かないタイプ。
さて、「パラダイス」の年末年始の出演芸人は、マジシャンと歌手とストリッパーの三人ということになりました。
マジシャンは「世界的有名マジシャン」というふれこみの、クタクタの背広に大きなトランクを抱えた小男。チャーリー片西。
歌手は「シャンソン界の大御所」。見上げるような大男で男の顔で男の声で、ただ言葉と衣装は女物。ブルーボーイのソコ・シャネル。
ストリッパーは「今世紀最大級の踊り子」明らかに女だが、タレントに見えないのっぺりした薄暗い顔つきで、ガラガラと低い、酒とタバコで潰し切ったような声で関西弁を喋るフラワーひとみ。彼女の書類には28歳と書かれているのですが、どう見てもそれよりはかなり歳がいっている気がします。
大竹まことの実話では、「俺」は芸人で「師匠」は芸人としての大竹まことの師匠だったのですが、この小説では違います。
演じるマジックが全て失敗で、それで笑いをとるという芸風のチャーリー片西に「チャーリーさん」と呼びかけると、「その名前で呼ばれると恥ずかしいので、自分のことは『師匠』と呼んでください」と本人が言うので、彼を「師匠」と呼ぶのです。
さて、この場末感が強烈に漂う三人は、ステージが始まると、とても受けまくる、腕の確かな連中だったのです。
という「俺と師匠とブルーボーイとストリッパー」の四人なのです。
旅はしないけど、これロード・ムービーだね
「パラダイス」に出演する芸人たちは、ただで滞在できる寮を見た途端、ここじゃなくて紹介してもらえる安宿に自腹で滞在するのです。
だから、寮には章介一人が暮らしているのですが、今回の三人は、無料で泊まれるところがあるのなら、そこに泊まると言います。
と言うことで、寮で章介と変な三人の芸人達は一月ほど一緒に暮らすことになります。
ブルーボーイとストリッパーは、章介のことをボンと呼ぶようになります。
陽気で下品な芸人達は、章介も巻き込んで面白おかしく日々を暮らします。
でも、冗談ばかりを言いながら陽気にしている彼らは、それぞれ抱えているものがあります。
一緒に暮らすうちに、それぞれの事情や状況が表に出てくるのです。
これ、いちいち書きたくなりますが、この作品をご自分で読んで楽しんでください。
「なんやおもろい年の暮れやな」
部屋に置きっぱなしの章介の父親の遺骨は、シャネルとひとみからそそのかされ、或いは教えてもらい、ちゃんと(?)お墓に納骨することに。
そして、正月三が日、キャバレーも休みになり、この四人は行くところもありません。
師匠が「海を見に行きましょう」と言い出し、四人は海に行きます。
どう言えば良いのでしょう
さすが直木賞作家です。上手。
二回読んで、もう一回読もうかななんて気になっています。この本の返却期限は五月六日なので、まだ余裕があります。
この「俺」章介のまだ短い人生の転機、三人の芸人達の抱えている人生の悲しみ、そして四人の家族のような一月間。それぞれの抱えるエピソードの作り方、本当にこれ妄想したんだな。
仕事が終われば、次の仕事場へと去っていくことが決まっている芸人達。
楽しさの中に、別れが来るのが決まっている。その別れの寂しさを少しづつ予感させる漏らし方、上手です。
その他、ぼくらに馴染みのない言葉の説明の仕方とか、なるほどなるほどと勉強になります。
「別れの杯や、ボンも飲み」
手渡された日本酒(ワンカップです)をひとくち飲んだところで、胸のあたりが苦しくなる。喉の奥に丸めたさきイカが詰まっているような気がして目をつむると、ふるりと頬に涙がこぼれた。
列車がホームを出て行く。流れ出す窓に一瞬、こちらに向かって手を振る三人が見えた。もう二度と会えないと思ったら、急にオーバーが重たくなる。二十年生きてきて、今これから先がたまらなく心細く感じたのは初めてのことだった。
三人を駅で見送った後、章介は駅の公衆電話で、帯広から年賀状を送ってくれた母親に電話します。
「パラダイス」のアルバイトを辞めて、どこか別の場所で自分の仕事を見つけるんだと言う章介に、母親は会いに行くと言います。
この母親との再会のシーンも、なんか良いです。
そして、母親を駅で見送ります。
すがすがしく冷たい風を残して、列車がホームを出てゆく。
親も他人も恩人も、章介のなかでは同じ棚に並んでいた。
小説は、ここでは終わりません。
どんな終わり方なのかも、どうぞ読んでください。