ぼくは日本文学の、ちょっと古めのやつをあまり読んでいません。
食わず嫌い。
なんか辛気臭そうだし、「私小説」なんて言い方も嫌だったし。
太宰治だって、あの鬱陶しそうなポートレートのせいで、ずっと読んで無かったのです。しかしこれは、初めて短編集を買って読んでみると、えらく面白い。
「流行作家」という言い方がぴったりです。
あの写真の雰囲気や女と心中とか、そういうのに誤魔化されて何十年も過ごしたのが悔しいくらいです。
梶井基次郎の「檸檬」だって、読む前に抱いていたイメージとは全く違い、読んでみると面白いので驚きました。
こういうのは、青空文庫のおかげです。
短編集として一冊読まなくても、短編一作だけ読めるのは気が楽なのです。
先日、図書館で借りてきた「絹の家」というコナン・ドイルでは無い人が書いたシャーロック・ホームズものが、どうしても読み進められずに、それでも家内がマーケットから出てくるのを待つ間に、少しずつ読んでいたのです。
しかし、先日、本猿 (id:honzaru)さんのブログで、岡本かの子さんの「家霊」という短編集が紹介されてました。
この短編集の中に収められている短編が青空文庫にあったのです。
で、「鮨」という作品をダウンロードしておいたのです。
今日、車の中で「絹の家」を閉じて、その「鮨」を読んでみました。
面白いですね。
こんなに面白いとは思いませんでした。
ああ、やはり小説ってのは「お話」というのが基本にあるのだと思いました。
お母さんが、食の細い、偏食の男の子に、なんとか食事を取らせようと工夫して、まるでお寿司屋さんのように鮨を握って見せるのです。
できるだけ生臭さを感じさせないように、工夫して、玉子やイカなど、そして魚なら鯛とかの白身を食べさせるのです。
企み通り、子供は母親の握る鮨を気に入って、食べてくれるのです。
その子が、大きくなり歳をとって、ちょっと投機のおかげで儲かって、倹しい老後を送れる程度の金を握り、そして一人で暮らしています。
その男が、時々訪れる寿司屋の娘が、このおっさんが気になって・・・
という、極々可愛らしい小品です。
なんか、子供の頃の母親のにぎる鮨も、リタイアしてから時々訪れる寿司屋も、その寿司屋の娘と外で偶然会って、ちょっと話をするのも、全部御伽噺のようなファンタジーのような「おはなし」なんです。あの母親が鮨を握るシーンが大好きです。
息子の岡本太郎さんも、そういう母親の愛情で包んでやったのでしょうか。
読んだことのない、知らない作家、知らない小説を教えてもらえる読書ブログはありがたいのです。
本猿さん、ありがとうございます。