さっき思い出しましたが、ぼくが学生の頃お世話になっていた下宿の大家さんは、富山の製薬会社の役員か何かだったような気がします。
まあ、あやふやな記憶ですが、特に働かなくてもいいような立場の人だったと思います。
おとなしい、小柄で痩せてましたが、にこやかな人でした。
郵便は、一旦大家さんが預かりました。2階に上がる階段の横に小さな黒板があって、そこに「誰それさん郵便が来てます」と書いておいてくれるので、読んだら取りに行けばいいのです。当時は仕送りも現金書留でしたから、月末の郵便の知らせはありがたいものでした。
電話は、玄関を上がったところの廊下にピンク電話が置かれてました。10円玉を入れて掛けるのです。ぼくら下宿人は、このピンク電話の番号を実家や知り合いに教えてあるので、たまたま一階にいるときに電話が鳴ったら、出て、かかってきた相手に大声で電話だと知らせるのです。
間取りを汚い絵で描いてみました。本当汚くてすいません。
この下宿に入って、すぐに友達になったのは、ぼくと同期で入学したYくんです。
どういうふうに友達になったのか分からないのですが、とにかく友達になっていました。
彼は階段を登って、左側へ行き、廊下突き当たったところを左に折れてすぐの部屋に入ってました。上の絵でいうと、2階の下の列に3部屋ありますが、その真ん中の部屋です。一応、青字でYと書いておきました。
ちなみに、この絵で、緑の数字が書いてある部屋は、ぼくが住んだ部屋で、数字は入った順です。
ぼくは文系の学部で、Yは理科系です。
理科系の学部は、本部とは離れていて、下宿から西に進んで住宅街などを抜けると、大きな通りに突き当たりますが、その大きな通りの向こう岸にそびえ立っています。
Yとつき合って、理科系の連中は変わっていることを知りました。
変なやつですが、ぼくはYの部屋によく遊びに行きました。
ぼくは英語が好きなわけではなかったのですが、大学受験のために高校3年生の時に自己流付け焼き刃で勉強して、なんとなく興味は抱けるようになっていました。
大学に入って、さてクラブ活動はどうしようかと思ってたら、先輩方の強力な勧誘に遭い、すぐに部室に連れ込まれ、英会話のクラブに入ってしまいました。
Yも理科系学部校舎にある英会話クラブに入ってました。
ぼくは、こちらの英会話クラブで、1年間は楽しく暮らしてましたが、何かに所属しているのが嫌いなタチのせいか退部してしまいました。
Yは、しっかり理科系学部の英語クラブに4年間いました。彼は、そこで麻雀を学んでいたのです。
ぼくの方は、学部の同じクラスにKくんという東京の人がいて、学校ではKくんと一緒にいることが多かったです。
さすがに東京の人はぼくら田舎者とは違い、高校の頃から麻雀などの遊びに馴染んでいました。ぼくに麻雀を教えてくれたのは、このKくんです。
系列校というのは無いのですが、Kくんの高校からぼくらの入学した大学に来る人は割合多かったようです。
Kくんは、ぼくに麻雀を教え、そして大学の周りにある雀荘にたむろしている友人を紹介してくれて、毎日麻雀が打てるような環境を整えてくれました。
あの頃の大学生は、みんなタバコ吸って麻雀ばかりしてたのです。
ああ、パチンコもしてました。
銭湯には、下宿人が連れ立って行くことが多かったです。まあ、せいぜい3人から5人程度の集団で風呂屋へ向かうのです。
洗面器に石鹸とタオルを入れた一行です。
値段は覚えてませんが、銭湯は毎日行くにはかなり高い料金でした。行く日と行かない日があり、そのサイクルがうまく噛み合ったもの同士がつるんでたのです。
下宿から西の方に歩き、理科系学部の面している大きな通りの向こうに渡って、ちょっと歩くと銭湯がありました。
ぼくは、三時過ぎの開店したばかりの、まだ外が明るいうちに行く銭湯が好きでした。
毎回、そのタイミングでは行けませんけども、早く帰ってきた日などは、そこらにいる下宿人を捕まえて一緒に銭湯に行きました。
風呂からあがり、戻ってくるのに大通りを渡る横断歩道のこちら側には酒屋がありました。
金が無いので、いつも酒が飲めたりはしないのですが、基本的に当時500円で売っていたサントリーのジンが下宿人たちの定番の飲み物になってました。
安いけども、炭酸飲料で割って飲むのでうまいまずいは気にする必要が無いというところを、みんな気に入っていたのです。
誰かが景気良くジンを買い込むと、他の者がコーラとかスプライトの大きな瓶を買うのです。
風呂屋の帰りに酒屋があるというのは、なかなか良い環境だと思います。
ところで、ぼくの大学は私立大学ですが、授業料は年間で8万円でした。
ぼくらは、大学に入ると4年間は授業料が変わらない最後の世代でした。ぼくの次の年の入学者の授業料は12万円になり、彼らは毎年授業料の値上げに遭いましたが、ぼくは4年間、年に8万円の授業料だったのです。
途中から国立大学に行くよりも安くなってしまいました。
なんとなく当時の物価がわかりますでしょ。
ぼくが大学に入った頃、大学の周りの食堂で、ちょっと程度のいい生姜焼き定食が180円だったと思います。
ラーメンは80円。
なんか良くわからないような定食だと120円、150円あたりで食べられました。
もちろん次第に値段は上がって行きました。
学食もありましたが、生協食堂というのもありました。同じような価格構成で、生協食堂の方が少し美味しいような気がして、生協食堂派になりました。一般の食堂が値上がりして行く中で、生協食堂は安定の価格でしたから、お世話になる回数も多かったです。
ここ販売機で食券を買うのです。
10円玉を入れると、10円で買える食券の押しボタンが点灯します。例えば、生卵とかです。
で、誰かが、10円玉を入れて、買えるもののボタンが点灯する前に、別のもののボタンを素早く押せば、その食券が出てくると教えてくれたのです。
ですから、140円の定食が10円で食べられるという訳です。
それはいけない事なので、ダメだよと心の中で呟きながら、ぼくのボタンを押すタイミングはすごく早くなりました。
しかし半月ほどしたある日、食券を買う列がすごく混みだしたのです。正確に言えば列が前に進まないのです。
「何してんだ?」と前の方を覗くと、食券販売機の前で何度も首を傾げて、「おかしいな」と言いながら、10円を放り込んで素早くボタンを押すのを何回もやり直している連中がいたのです。
こいつら、人がダメでも自分はできると、ほとんどの奴らが何回かトライして、最後に諦めて正規の値段で食券買っているんです。時間がかかるはずです。
世の中甘くはありません。生協も不正に気がついて機械を調整したのです。
ま、当然ですね。
お金が厳しくなると、生協食堂で80円のカレーライスを食べることが多くなります。
ああ、チキンライスてのもたまには食べたいなと思うのですが、それは生協食堂にはありません。
しかし、テーブルでカレーを食べだして、ひょいと向こうのテーブルを見ると、赤いご飯をスプーンで食べているやつが見えました。
あれ?チキンライスがあるんだと驚いて、そいつの皿をよーく見ました。
違いました。
ライスだけを買って、テーブルの上にサービスで置いてある福神漬けをとって、たっぷりご飯に混ぜ込んで食べているのです。
ああいう手もあったか。
やっぱり学生は貧乏なんです。でも、貧乏が気にならない年齢でした。