足利義昭(滝藤賢一)の元服
この前の回、滝藤賢一が演じている足利義昭が、ユースケ・サンタマリアの朝倉義景を烏帽子親として、一乗谷で元服してました。
この時、足利義昭は32歳でした。画面上でも滝藤賢一が、どれほど若造してもやはりそのくらいの年齢以下には無理でしたね。
でね、「元服」って、もっと若い、あるいは幼い時期にするものだという認識があったので、違和感みたいなのを感じたのです。
ぼくは、義昭は坊主になっていたので、この元服で還俗して武士に戻るという意味の元服なのかなと自分なりに考えていました。
この前、3200円もすると書いたあの本
を読んでいると、ちゃんと書いてありました。以下は、本の文章そのままでは無いのですが
(室町幕府では)通常、将軍の後継者以外の男子は、元服する前に出家して寺に入ります。
高齢で元服するのは、本来将軍の後継者では無かったので出家していたが、急に後継者(候補者)となった場合など特別な事情のある場合です。
ということで、こちらが想像した通りのことでした。
向井理が演じていた第13代将軍の足利義輝が、障子越しに刀で突かれて殺されましたね。
滝藤賢一の義昭は、義輝の弟ですから、将軍後継者の第1順位。たぶん向井理には子供がいなかった感じですもんね。
向井理を殺した三好勢は、向井理のおじさんで、将軍にはならなかった義維の息子、向井理や滝藤賢一にとっては従兄弟になる義栄を連れてきて第14代の将軍にしてしまうのでした。
でも、皆さんご存知の通り、織田信長が足利義昭を担いで、上洛して義昭(滝藤賢一)を15代の、そして最後の将軍にしてしまいます。
織田信長が天下を取ったって?
これね、織田信長が天下を取ったというイメージで、ぼくはずっと生きてきたのですが、考えてみると、まあ桶狭間で今川を破り、浅井・朝倉も破りって感じなんですけども、その他いろいろ戦ってますが、地域としてはかなり限定的な活躍です。
それでも、本能寺で信長を殺してしまった明智光秀は「三日天下」って言われましたから、やはり「天下」をどうにかした訳です。
この辺のことも、なんか引っかかっていました。
それから、将軍てのは、どうなんだ?ってこともよく分からないし。
ま、この辺りのことも、あの本を読むと、ちょっと書いてあります。
ちゃんと読んで、なんか書きましょうと思っております。
今、第10代将軍のあたりでウロウロしてますので、時間かかりますけども。