はい、Prime Videoで、追加払い無しで観ました、今日も。樹木希林の遺作ですね。
ぼく、「日日是好日」って、「ひびこれこうじつ」と思ってましたけど、「にちにちこれこうじつ」と読むのが正解でした。
なんとなく知ってはいたのですが、実際観ると、こう言う感じの映画だと思ってませんでした。
いや、この感じと思ってたのですが、これほど面白く観れるとは思ってなかったのです。
変だって思うかもしれないけど、お茶ってそういうものなのよ
樹木希林、登場して最初にふくさの使い方を黒木華と多部未華子に説明します。
この時点で、ぼくらは映画の中にさらわれます。
樹木希林は、お茶の先生。そこに黒木華が、いとこの多部未華子と一緒に入門するのです。
で、お茶を習っていくのです。
ただそれだけの映画です。
薄暗い和室で、お弟子さんたちに教えるためにポトンと座っている樹木希林。
役としてか、健康上の理由なのか、樹木希林の顔や声からは力が抜けています。
お茶を教える説明というか教えが、当初淡々と続きます。
ぼくはそのシーンが好きです。
なんかしみじみした映画です。
こうして同じことが出来るってことが幸せなんですねえ
終わりに近く、初釜の席で樹木希林がポソポソと挨拶の後で、そう言うのです。
毎年同じことをする、その同じことをすると言うのが幸せなんですねえと言います。
「これからが始まりなんだわ」と主人公のモノローグで映画は終わります。
こういう教室って、実際、そう言うふうに決まりきったことを続けながら、生徒も先生も成長していくのでしょうね。
「人に教えると言うことは、自分にも本当に勉強になるのですよ」
この映画、なんでこんなに面白く観れたんでしょう。
亡くなったお父さんが、砂浜の波打ち際に立っているシーンだけが、無いと良いのにと残念に思いましたが、シーンシーンの画像がなんとも良いのです。
こう言う映画をなぜ作るのだろうと考えました。
際立ったストーリーなんか無いのです。
淡々と主人公の女性の女子大生時代から40過ぎの時代が綴られます。季節季節のお茶の教室での時間が中心です。
こう言う話を作りたかったんだろうなあとしか、ぼくには分からないのだけど、面白いと感じるのです。
茶道というものを、習う生徒のサイドから描きたかったのかな。
あるいは、師匠と弟子の関係を。
こういう話の見せ方というのがアリだということなんですね。すごいなあ、その話の作り方というか我慢の仕方が。
樹木希林がじきに死にそうな(実際亡くなりましたが)感じで、次で先生が亡くなったシーンが映るんじゃ無いかと、ずっと心配してました。
この生徒、黒木華でないと難しかったかな。ハマりすぎだけど。
もし、面白いと感じる理由がお分かりの方は、教えてください。
観てない方は、ご覧になると良いですよ。で、ぼくに教えてください。