前回、「三井の大黒」のことを書きました。
左甚五郎の話ですね。
続きと言いますか、左甚五郎のその後の話が「ねずみ」。
これまた3代目桂三木助でYouTubeにあったので、聞いちゃいました。
ねずみ
左甚五郎は「三井の大黒」に出てきた江戸の大工の棟梁 政五郎のところに10年も居候を続けました。
江戸にいる10年のうちに、左甚五郎は日光東照宮の「眠り猫」とか、歴史に残る仕事をするわけです。
この間に、大工棟梁の政五郎は亡くなってしまい、後を息子が継ぎました。
さあ、10年もいたら江戸も飽きたし、左甚五郎は東北へ旅に出ます。
仙台の町外れで、12歳ほどの男の子が甚五郎に声をかけます。
「宿ならうちに泊まってくださいよ」
甚五郎は、これに応じて、男の子の宿屋へ行きます。
仙台の街の宿屋が並んでいる辺りで、ひときわ大きく立派な宿屋があります。これが虎屋という宿。
その虎屋の向かい側に、ひときわ小さな家があります。これがネズミ屋という宿。男の子の所です。
ネズミ屋には、男の子の他に腰が立たなくなった父親がいます。
夜の時間潰しに、この父親の話を甚五郎は聞くのです。
父親は、元は向かい側の虎屋の主人でした。
奥さんが亡くなって、宿屋の女奉公人たちを束ねるのに困り、女中頭の女を後添えにもらったのです。
しかし、ある夜、宿屋の二階で喧嘩が始まり、止めに入った主人は階段の上から突き落とされて腰を打ってしまいます。
その夜から、主人の腰は立たなくなり寝たきりに。
ところが、小さな息子が継母から虐待を受けているのに気がつきます。
で、宿の向かい側の物置に使っている小さな家をきれいにして、息子と二人で移ったのです。
ところが、番頭が主人の後添えの奥さんとできてしまい、奥さんに預けてあった印鑑を勝手に押して、虎屋を番頭に譲ったことにされてしまったのです。
生活は、子供の頃からの友達だった別の宿屋の主人が面倒を見てくれています。
しかし、それでは心苦しいので、小さいながらも宿屋を営んでいるという次第。
甚五郎は同情して、木の端材をもらって何かを彫ります。
ネズミ屋だから小さなネズミを彫ってやったのです。
このネズミ、動くのです。
さすがは左甚五郎。
で、このネズミ屋の前に、「左甚五郎が彫ったネズミがこの宿屋にある。もし、それを見たなら必ずネズミ屋に泊まるように」と書いて貼り付けました。
さあ、この生きたネズミの彫り物、大変な評判を呼んで、ネズミ屋は宿泊客で溢れてしまいます。
家の後ろに建て増しをして、女中や料理人も雇って大変な繁盛。
これに反して、前の虎屋は廃れる一方です。
今の虎屋の主人は、一計を案じ、仙台藩のお抱えの彫り師に虎の置物を彫ってもらい、二階の窓からネズミ屋を睨むように設置しました。
なんと、この日から甚五郎のネズミが動かなくなります。
困ったネズミ屋は甚五郎に手紙を書いて仔細を知らせます。
甚五郎は、再び仙台に来ます。
さあ、虎屋の虎の彫り物、どうもそんなに出来がいいわけでは無い。
ネズミに「なんで動かなくなったのか」と聞きました。
え、あれは虎なんですか?わたしはてっきり猫だと思ってしまいました。
そうだ三遊亭圓生の「鰍沢(かじかざわ)」って話を昔聞いたことがあります。
6代目ですね。
この話も好きです。あるかなYouTubeに?
探してみましょうか。