古い映画、モノクロです。
とても有名な映画ですが、ぼくは観た事がありませんでした。
prime videoにシリーズが出ていたのを見つけて、最初の作品を観ました。
高倉健という先入観で、これはヤクザ映画だと思ってたのですが、違いました。
映画の最初から、大柄で、かなり個性の強い俳優が出てきます。これが南原宏治だと、名前を思い出すまでに映画は半分以上進んでしまいました。
配役は、今にして思えばすごく豪華です。
嵐寛寿郎!!
安部徹
町田京介 等
映画のアウトライン
この映画、網走刑務所に服役してる囚人の話です。
囚人同士の先輩後輩、罪の重軽などによる主導権争い。
高倉健の演じる男、橘の不幸な少年時代のフラッシュバックのような記憶。貧しい母親の癌。母親は橘の出所を待たずに死んでしまうかも。
出たい。出て母親にこれから真っ当に生きるからと言って安心させたいという願い。
出所を半年後に控える高倉健演じる極道の橘は、バカなことの繰り返しの人生の自分を悔やみヤケになります。
橘の保護司の妻木(丹波哲郎)は、橘を励まし、仮出所ができるよう動きます。しかし、なかなか仮出所はかないません。
周りの囚人たちは大掛かりな脱獄を企てています。
橘の刑期はあとわずか。妻木の励ましもあり、正直脱獄を迷います。
そして・・・
手錠のままの脱獄
いろいろあり、囚人たちの脱獄計画は失敗します。
橘(高倉健)は、他の囚人たちとともに奥地の森林伐採の作業のために、雪の中トラックに乗せられて移動します。
逃亡防止のために2人セットで鎖に繋がれています。
雪原を行くトラック。
なんと南原宏治は高倉健を引きずってトラックから飛び降り、脱走します。
脱獄する気のない高倉健ですが、南原宏治のせいで脱走犯になってしまうのです。
予備知識無しで観てましたが、このあたりから「手錠のままの脱獄」って映画のタイトルが頭の中でチカチカしだしました。
あるんです、そういう映画。
ぼくは淀川長治の洋画劇場で観ているかもしれません。
Wikipediaで調べたら1958年の作品だと書いてあります。そんな昔。
トニー・カーチスとシドニー・ポワチエ。白人と黒人の囚人が鎖で繋がれたまま脱獄して逃げる映画です。
北海道網走の雪の中を高倉健と南原宏治が鎖で繋がれたまま逃げます。
映画の始めから反目し合う2人が、意志に反して互いに協力し合うしか無いのです。
高倉健は南原宏治に引きずられただけだと言って自首しようとします。
しかし、南原宏治は、高倉健に引きずられたと言うぞと脅します。
ヤクザ映画かと思ったら、アメリカ映画を北海道の広大な自然を舞台に観ることになりました。
若い頃の丹波哲郎が、カッコいいです。体格が良くて、ライフルを持って高倉健達を追いかける姿が、もうその頃の日本映画ではありません。まあ普通のシーンでも他の俳優たちとは違ってバタくさい。日本人のスタイルでは無いです。
長ドス一本を羽織ったトレンチコートの下に抱いて街を歩く健さん。
相手の組事務所に入って、奥を覗き、親分の前で仁義をきって、いきなり斬りつけて大立ち回り。高倉健が刑務所に入ることになった原因のシーンや貧しい農村を飛び出すシーンなど、しっかり日本映画であることを主張した後の、アメリカ映画のようなシーン。
そう嵐寛寿郎も、爺さんながらカッコいい、鞍馬天狗のようなシーンがあります。
観ているものの納得を手繰り寄せようとしてますね、日本映画を観ているんだという納得。
だから、手錠のままの脱獄とそれを追いかけるライフルを持ったアメリカの俳優のような丹波哲郎のシーンが納得できるのです。
なんで一般人がライフルぶっ放しながら脱獄犯を追い詰めるのという疑問に目が行かないようにとしています。
まあ、そんな疑問を抱いたとしても、丹波哲郎が忘れさせてくれます。ライフル構える姿が西部劇のようですもん。ほんとカッコいい。
最後の、ああいういかにものヒューマニズムで納得した時代だったんです。
そういう日本人だったのです。
いい人、いい心を受け入れられた時代。
さすがに、その後シリーズ化された大人気映画です。
焼き直しなんてバカにしてはいけません。
なかなかに面白かったのです。
若い丹波哲郎を観るだけでも良いですよ。
おすすめします。
それと昔の安部徹、最初だれだかわからなかったです。嫌な奴の役だけど、なかなか良い顔してるんだと改めて気がつきました。
笑い方が、その後のテレビドラマでよく見た顔とは違った表情です。似ているアメリカの俳優がいたような気がしたのですが、考えてもわかりませんでした。
シリーズのほとんどがプライムビデオに上がっているので、順番に観ていくことになりそうです。
はい、それでは皆さん、サヨナラサヨナラサヨナラ。
わかるかなあ、わかんないだろうなあ。