70代の真実

70代年金生活者の生活と思ってること、その他思がけないことも

室町時代のあれやこれや

室町時代のことを語っていくのですが、時系列でストーリーを語る前に、ちょっと説明みたいなことをしていかないと、用語にしてもいちいち難しいことになってしまいます。

あまり説明らしくしないように努力しますので、ちょいとお付き合い下さい。

 

なぜ「室町」時代

前回、南北朝が統一されたのは3代将軍義満の時代にになってからと書きましたが、室町幕府はこの義満の時にようやく安定しました。

で、義満は、烏丸通をはさんで御所の斜め前、北西に豪華な自分用の御所を作りました。

花の御所と呼ばれた施設です。

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上の地図は、右側が北です。

今の同志社大学の向かい側ですね。

この花の御所の西側は室町通り。で、室町にある御所に義満がいるから「室町幕府」なんて言うのです。

 

 

将軍の下には「管領

高師直が足利家、尊氏の執事だったということは、以前書きました。

で、尊氏が幕府を開いたので、執事の高師直は足利家だけでなく幕府の実務も仕切っていくようになったのです。

 

しかし、この執事というのは、家のことを仕切っていくのが本来ですから、やはり幕府を仕切るのは違う呼び名にしようぜということで「管領」という役職ができました。

 

この幕府の管領になるのは、家が決まっていて、細川、畠山、斯波の三家だけです。

これも以前書きましたが、この家たちは源氏。足利の親戚になります。

これらの家の名前は、ちょいと意識しておいてください。いろんな乱に絡みますので。

 

 

幕府の事だけではなく、重要な地域には、その地域を仕切る管領も作りました。これは支配人みたいなものですか。

関東管領、鎮西管領などです。

 

 

中国との貿易

室町時代は、産業や商業の大きな発展がありましたが、幕府は中国・明との貿易で儲けてました。

その頃の明は、周りのしょうもない国々が貢物を持ってくると、それに対して値打ちのある物を返すということをしており、やっぱ中華思想なのですね、こういう朝貢貿易を日本も行いました。

 

明からは、銅銭、生糸、絹織物、陶磁器なんぞを頂いておりました。

なんと足利義満は、明から日本国王の称号を戴いたのですよ。

 

 

それから、朝鮮とは、朝貢ではなく、対等の貿易をして、綿が入ってきました。

 

 

産業の発展

貿易によりいろいろな品物、技術が入ってくるので、産業も発展していきます。

農業

  1. 手工業が発展し、農機具が普及したこと、
  2. 灌漑技術が、要するに土木ということでしょうか、発展したこと
  3. 肥料に糞尿を使い始めたこと

などで、農業が発展、生産量が増えました。

 

また、麻、桑(養蚕に)、藍、綿などを作るようになり、繊維関係の生産ができるようになり

こうぞの生産で、紙が作れるようになり

エゴマで油、うるしで漆器などが作れるようになりました。

 

工業

上記の農作物の生産から、その関係の工業が盛んになったのは当然ですが、

鍛治、鋳物の技術アップにより刀、農具の生産力が上がり、

その材料の鉱物、 銅、金、銀、砂鉄などの採掘も行われるようになりました。

 

商業

物の生産が増えてくると、それを売り買いするための市も盛んになります。

また、物流が必要なので、保管業、運送業も発達。

 

道路の整備、関所の設置(通行料を取る)も行われてきました。

 

貨幣経済

共通の通貨を使うようになります。

なお、通貨は自前では作らず、明からのものを転用して使いました。明銭、その前の宋銭です。

 

これで金融業も出てきます。

 

 

文化

北山文化金閣寺)とか東山文化(銀閣寺)とか聞いたことあるでしょう。

 

芸能、造園、枯山水水墨画茶の湯、生花、連歌、等々。

いわゆる日本文化、京都にあるやつですね。

 

 

室町時代、なかなかでしょ

日本にとっては、経済・文化面で、すごい発展があった時代です。

 

あ、港町とか門前町とかも、この時代にできてきたらしいです。

 

活発な時代だったのでしょう。

東シナ海を中心に、倭寇なんて海賊も出現しました。

明は、この倭寇の取り締まりを日本に求めたらしいです。