以前書きましたように、ぼくは図書館から借りてきた本をきっかけに、室町時代を勉強し直す気になりました。
当初、トピックだけ選んでランダムに調べる態度でしたが、まあ、ちゃんと時間軸にそってやろうやないかと言うことで、室町時代の始まりから見ていこうと思いました。
で、ノートを作ろうかということなのですが、初期の頃の室町時代をまとめていくには、あまりにもごちゃごちゃしすぎていて、ノート作るの大変なんです。
基本的に室町時代は、どの時期もゴチャゴチャしています。
まあ、そういうことで、とりあえず幕府創成期、南北朝時代についてはノートを諦めて、資料見ながらブログ記事としてまとめてみようか、ブログをノート代わりにしようかと考えました。
面白い時代ですから、もしよろしければ、読んでみてください。
前提 当時の主従関係
ヤクザ映画を御覧になりますか?
うちはVシネマの長いシリーズ「日本統一」を無料になる都度観ておりまして、もう30巻くらいは観進んでいます。
この「日本統一」は、本宮泰風(原田龍二の弟ですね)と山口 祥行の演じる仲良し不良が、横浜から神戸に流れ、そこの大きなヤクザ組織に入って、どんどん頭角を現し、日本中のヤクザを組織化していくという内容なのです。
で、このVシネでは、地方のヤクザの組が、どの連合に参加するのか、あるいはヤクザがどの親分の子分になるのかというのは、完全にその人たちの欲と都合、どこが勝ち残っていくのかという打算によるものなのです。
まあ、お話なので、男に惚れるとかいう要素はありますが、基本的に打算。
室町時代の侍たちも、完全に打算で動きます。
ですから、昨日までの味方が今日の敵という事もよくあります。
その大将のために戦いますが、褒美に不満があれば、当然裏切ります。
「裏切り」という概念すら無かったんじゃないでしょか。ま、そんなことは無いか。
今回メインで取り上げる足利尊氏だって、当初は鎌倉幕府の命令で後醍醐天皇一派をやっつけるけど、そのうち後醍醐天皇の味方になって、鎌倉幕府・北条政権を倒してしまいます。
で、建武の中興となりますが、また後醍醐天皇の敵となり、これを追放して北朝の天皇を立ててしまい、南北朝時代に突入します。
自分の弟との対立で、いつのまにか弟が南朝側になったり、その弟にやられて不利になると、今度は自分が南朝側になったり、自分の外腹の息子と対立して戦ったり、他の武将たちもけっこうあっちに付いたりこっちに付いたりで、本当にみなさんドライです。
江戸時代に確立した主従関係の道徳みたいなものが、当たり前だと思っているのは大きな間違いです。
これ前提で考えてくださいね。
前提 足利尊氏の人間性・性格
イメージは、基本的にこの人悪役ですよね。
それは、なんと言っても後醍醐天皇の敵となる訳ですから、特に戦前においては大悪人ということになってました。
しかしね、良い時もあれば悪い時もある人生で、この人波乱万丈なのに、いろんな武将が付いていくのです。
そりゃあ敵になる時もあるけど、その後子分に戻ったりします。
で、この人、そういうのも許しちゃって子分に戻して、挙句に褒美までやったりするのです。
ぼくは、この人、太っ腹で、みんなに好かれる人なんじゃ無いかという気がしています。
ぼろぼろの時代もあるけど、結局日本中の侍の親玉になるんですから、本人にかなりの魅力があるはずです。
だから、単純に悪役てのは違うのかなという気がしています。
例によってWikipediaを見るのですが、こう書かれた文章を見つけました。
以下、引用。
尊氏の人間的な魅力を、個人的に親交のあった夢窓疎石が次の3点から説明している(『梅松論』)。
- 心が強く、合戦で命の危険にあうのも度々だったが、その顔には笑みを含んで、全く死を恐れる様子がない。
- 生まれつき慈悲深く、他人を恨むということを知らず、多くの仇敵すら許し、しかも彼らに我が子のように接する。
- 心が広く、物惜しみする様子がなく、金銀すらまるで土か石のように考え、武具や馬などを人々に下げ渡すときも、財産とそれを与える人とを特に確認するでもなく、手に触れるに任せて与えてしまう。
死を恐れず、人を恨んだり憎んだりせず、気前が良い。
そういう男だったということですね。
はっきり言えば、豪胆なお人好し。
細かい事は不得手だったみたい。
それにけっこう相手を思う気持ちが強くて、優柔不断だったりもするようです。
政治は他の人に任せちゃいます。
例えば、誰かが何か訴えに来たり頼みに来たりすると、「ああ、そうかそうか」なんて言っちゃって、
「おーい、師直」
「あ、こいつ高師直。うちの執事。こいつが上手いことするから、こいつと相談して」
とか、
あるいは
「おーい、直義」
「あ、こいつ直義、おれの弟。こいつきっちりしてるから、こいつと相談して」
なんて感じ。ま、完全にぼくの妄想ですが。
だいたい戦に出ても、「え、状況不利なの。いいよ、わかったよ。ダメだったら、おれ腹切るから、タイミングだけ教えてね」なんて本当に言ってたらしい。
前提 足利尊氏の人間関係
足利直義
これ、同じお母さんの兄弟。
仲が良い兄弟です。鎌倉幕府を倒して、ずっと一緒にやってきた。
性格は兄と違い、きちんとしていて政治向き。ただ、考え方が古い。保守的。
高師直(こうのもろなお)
足利家の執事。執事って言っても、召使ではありません。
最重要、最有力の家臣(と言っても、上記の当時の主従関係見てくださいね)、足利家のいろんなことを取り仕切り、幕府を開いたら幕府のいろんなことも取り仕切りました。
尊氏は、すっかり丸投げ。
戦が上手かった、強かった。
それに政治、管理的なことも、革新的で進歩的で能力がありました。
小説や芝居、歴史の中でも、悪役。
そんで好色。他の武士の奥さんなんか、どんどん手を出します、旦那が逆らったら、さっさと滅してしまいます。
ただ、こういう性格も、尊氏が悪人として描かれるのと同じで、そういう創作だったのかもしれません。
足利直冬
これ、尊氏が、どっかのよくわからない女に産ませた子供。
産ませたというより、女を抱いたら、そん時に子供が出来ちゃったという感じ。
だから、直冬が父親に会いたいとやってきた時も、全く対面しない。当然、認知もしません。
相手にしない。
NHKの大河ドラマでは、この母親は宮沢りえが演じてました。まだ彼女が可愛くて綺麗だった頃のドラマです。
この直冬、尊氏が会ってくれないものだから、弟の直義のところに行って、自分が尊氏の息子であると訴えます。
おそらく母親は、ある程度ちゃんとした家の娘だったのかなと思うのですが、直義は、この直冬を自分の養子にしました。
この時点では、直義に子供がいなかったのです。それに尊氏が「あれはおれの子だと思う」くらいのことは言っていたのでしょう。「お前、なんとかしてよ」って。
尊氏の正室は、なんか実家が滅びたのか、まあ、そんな感じの状況で後ろ盾が無くなっていたので、尊氏はよけいのこと正室を大事に守ってやりました。
だから、他の女との間にできた子供なんか、家に入れられないと考えたのでは無いかという学者もいます。
直冬という名前も、直義の養子になって付けてもらった名前です。
足利 義詮(あしかが よしあきら)
これは尊氏の息子です。
足利幕府第二代将軍。
前提はこれくらいにして
さて、室町幕府の最初の頃のことをまとめていきます。
観応の擾乱(じょうらん)を中心に書いていくつもりです。
だから鎌倉幕府が倒れた後、建武の中興以降の二代将軍足利義詮あたりまでの、グチャグチャですね。
ということで、それは次の回のはなし。