前から原発のことを書こうと思いながら、一本の筋にならずに、見送ってきました。
でも、今回、「まあそれでもいいじゃないか」ということで、書くことにします。
以下、とりとめもなく。
原発は止めろという判決でしょ、あれは
きっかけは、あの裁判結果。
福島原発の津波による事故で、東電のお偉いさん三人が無罪ってやつです。
ぼくは個人的には、常識的な判断だなあと思いました。
あれは人間の能力を超えた事故だから、管理者責任を問うべきでは無いということですか。
でも、あれをよくよく考えてみると、あの裁判長、原発止めろよと言うことを主張しているということになるんじゃないでしょか。
人間がコントロールできることじゃ無いんだから、という事は、なんかあったらものすごい被害があるけど、それは誰も責任持てないからね、と言うことになるんでしょ。
あ、すいません。ちょっとねじ曲げました。
裁判官が言ってたのは、津波の予想のことです。
しかし、大きな津波が来たら、とんでもないことになるんだし、事業者としては万が一に備えて当たり前なのですが。だから、それをそこまでは責任持てないでしょうと言われたら、上記のような事になるんじゃないですか。
本人が意識しているのかどうか知りませんが、あの判決深いですね。
あれだったら原発止めなきゃ。
原発は必要
罪深いのはぼくらです。
電気どんどん使うんだから。
最近は、充電して使う電気自動車が良いみたいなこと言ってますし。
あれ普及したら、電気ますます必要だし。
家だって、オール電化なんて言っているでしょ。
エアコン必需品だし、一日中つけるし。
水力発電は自然破壊で、もう新しいの作れない。
火力発電は空気汚すから減り始めてる。
風力発電も変な音波出るから、日本みたいにどこにでも民家がある小さな国土では限界ある。
太陽光発電は、そこらじゅうの空いている土地にパネル設置してしまったけども、コストの問題あるから。あれ、自家需要の補完で考えた方が良かったなあ。景観も悪いというか、すごく残念だし。見るたびバカだなあって思ってしまう。
海流利用も良いけど、まだだし、なんか難しいことありそう。
宇宙エネルギー使うのは、まだ形もないし。
ということで、罪深いぼくたちには原子力発電。
生活改める以外は、原子力発電。
原発の安全性って
これね、「原発の安全性」って「誰の(どこの)安全性?」
この「だれが安全?」「どこが安全?」、「誰が」「どこが」ってところを隠して「安全」てだけ言っている。考えている。
誰が、どこが、って絶対に言わないでしょ。
なんで東京の真ん中に作らないんだって与太質問。
それは、その設置場所は、安全で無いからです。
原発は過疎地を選んで作ります。
それは、その設置場所の安全が保証できないからです。
原発が「安全」なのは、東京とかの大都市圏が安全であるという意味です。
「安全」という言葉に、「どこの」「だれが」を省いたのは悪いよ。
それ除いて、「原発は安全です」
でも、これ期限も省いてますから、事故後に解決が遅れるとどのくらいで東京が危なくなるかって。
危険かもしれません
知り合いの技術関係の人が、呼ばれて原発に行ったことがあります。
原発作るときに、いつもネジが余るんですって。数だけ用意してるのに。
そのネジが余らないように、ちゃんと全部付けられるように管理するにはどうすれば良いのかという相談を受けて行ってきたのです。
原発は複雑なパイプのお化けです。あれだけ複雑だと必ずしくじります。
その技術屋さんは、そう言いました。
まあ、それでも、日本の原発が事故を起こす心配しなくていいですよ。
中国のは、違うメーカーの部品を継ぎ接ぎして作ってますから、先に中国のが事故ります。
そしたら放出された放射能は、風に乗ってほとんど日本に来ます。それで我々はみんなやられてしまいますから。
そんなこと言っちゃって、津波のせいで福島が先にやっちゃった。
田舎の都市伝説
原発事故になったら、道路が封鎖されて、よそに逃げられなくなる。
なんてね。
まあ、近隣の府県から福井の県庁に「事故の時にこちらに逃げて来られると病院のキャパを超えてしまうので、こっちにはこさせないでくれ」という要望が密かに入っているという話を、役所の筋から聞いたこたはありますが。
なぜ原発を作ることが出来るのか
よぶんな付け足しです。
以下、ただのお話です。
いつもこうだとは言いません。
平和な田舎に原発を作る計画が来ます。
住民は、みな反対です。
それはダメだよと、みな言いますが、ちゃんと反対運動が組織される前に、見知らぬ連中が町に来ます。
その人たちは、そういう反対屋。
そのよそ者たちは、オルグを始めて原発建設反対運動を開始します。
そうすると今日まで、原発建設反対を唱えてきた住民たちは、それをまた口にすると、あのよそ者たちと一緒になってしまうので、反対運動から距離を置きます。
住民の一部と、プロの人たちは建設反対運動を起こし、最後に金額で合意し、お金が配られて、原発の建設が始まります。
そういう話もあるということです。