福井の殿様の話、前編をアップし、8代まで書きました。
ぼくはこの中で、2代目の忠直が不行跡で、隠居させられて、大分県の府内藩に預けられたことに興味があり、そのうち調べたいなと思います。
大分の府内藩の竹中てのは、関ヶ原に、西軍で参加して、途中で東軍に寝返った大名です。
そこに家康の孫、2代将軍の甥が流されてきて、預かるわけです。
いくら不行跡をしでかしてしまったヤツでも、そういう親戚関係を持つ人をどう扱えば良いのでしょうか?
なぜ府内藩なのか?
その理由も勘ぐればいくらでも・・・
どういう気持ちでどういう風に扱ったのか。
しかも、この野郎、不行跡のくせに5千石ももらうんですよ。
お気に入りの妾と娘連れてやって来て。
その5千石ってなんだ?
預かり人だから、いろんな面倒は府内藩が見るんだから、5千石は忠直の小遣いなのか?
それとも、それで生活してねとセコく言うのか?
扱い間違えると幕府に「俺の甥にそんなことするのか」と難癖つけられてしまうかも。
それにだいたい忠直本人がヤバそうなヤツじゃありませんか。
武装してなくても、どんな文句を言ってくるかわからないし、頭を押さえつけると幕府が・・・
府内藩は新しい屋敷を建てて、忠直を迎えました。
府内藩なんて2万石しかない小さな藩です。
興味ありますね。
それに、この竹中って大名、結局別件で処罰されてしまい、日根野 吉明ってのが新しい藩主になり、忠直を預かっています。
忠直は、この地で長く暮らしました。
けっこう悪くない人生みたいな感じです。