70代の真実

70代年金生活者の生活と思ってること、その他思がけないことも

USA14 野外コンサートの季節 ジェームス・テイラーからジャコ・パス

季節が良くなると、いろんなミュージシャンが新しいアルバムの曲を持って、コンサートして廻るようになります。

 

クリーブランドというか、クリーブランドの近くに大きな公園の中に野外コンサート場がある所がありました。

何回か行ったのですが、ここの名前が思い出せません。

さっき、「クリーブランド 野外コンサート」でググったら、ブロッサム・ミュージック・センターというのが出てきました。クリーブランドからだいぶ離れてアクロンの近くのようです。

あ、聞き覚えあるし、たしかに高速に乗って行きました。

 

 

春先に、クリーブランドの球場で、ワールド・シリーズ・オブ・ロックというコンサートが開かれ、観客が拳銃を撃って、何人か亡くなったりしたのをニュースで見たりしました。

皆さん、いろんなものを吸ったり、飲んだりするので、かなり危険です。

と思っていたら、クラプトンのコンサートがあるという情報があったのですが、ロックコンサートは危険かも知れないと、パスしてしまいました。

後で考えると損しました。

 

で、ジェームス・テイラー

日本人のKくんが、行こうよと誘います。

郊外に野外コンサート場があり、そこであるらしい。

客は芝生の上で聴くと言います。芝生の上だからローンチケット。

大学にチケット売り場があって、そこで買いました。

 

現地はすごく大きな公園で、中に入っていくと、高い屋根があるステージを中心にして半円状に広々とした芝生が広がっている会場があります。芝生はステージに向かってなだらかな傾斜で下がっています。

傾斜のゆるやかなすり鉢。

わざわざローンチケットと言うので、普通の椅子席もあるのかと思いましたが、芝生席だけです。

なんせジェームス・テイラーですから、聴衆もすごくたくさんいますが、芝生に寝転がれるだけの十分な余裕があります。

とにかく広いのです。

 

聴衆はアイスボックスや大きなカバンに、食べ物や飲み物を持って、会場に入る列に並びます。

入り口には警察官が何人もいて、荷物チェックをしています。

事前に、ビンの持ち込みは出来ないと聞きました。

ビンを投げる奴がいると危険だからです。

警官たちは、ビンを持っているかどうかのチェックをしています。

もちろん拳銃なんかも、持っていれば取り上げるはずです。

だから、珍しい革袋のワイン入れなんかを肩に掛けて持っているのがいます。

薬物などもチェックするんだろうと思いましたが、あまり見ていない感じです。

後で会場に入ってから、腰が抜けて歩けなくなるほどキメまくっているのがいたりしましたから。

 

それでも皆さん、いろいろ工夫するみたいです。

ぼくらの少し前に、若い女の子が両脇に荷物を抱えているのですが、あきらかに上半身裸の上にサロペットと言うんですか、オーバーオールを着ているだけです。

警官の前に行くと、さあ見てと脇に抱えた荷物を差し出しますが、胸の脇を突き出すようにして見せるので、さすがに警官も手が出ません。

しかし、すぐに厳しい顔ながら割と美人の婦警さんがやってきて、荷物をチェックしてました。

 

そんなこんなで中に入り、芝生に陣取り、飲んだり食べたりして開演を待つのです。

他の聴衆と接触するほど近づかなくて良く、余裕があってすごく快適でした。

 

演奏は素晴らしく、みんな喜んで、アンコールをせがみます。

せがみ方は、ライターを上に掲げて、火をつけるのです。

いわゆる百円ライターなので、指が熱くなりますが、とにかく点けっ放しで、黙って待ちます。

ミュージシャン達がステージに戻って来ると、大歓声。

準備が整うと、静かになって、ドラムが響き、サマータイム・ブルースをやってくれたのが、鮮やかに思い出されます。

最初のドラムの演奏の時にバスドラムに照明が当たり、ストロボのようにフラッシュして曲が始まりました。

 

この後、ドゥービー・ブラザーズやいろんなミュージシャンのコンサートに何回も行きました。

全部、このブロッサム・ミュージック・センターの芝生席です。

 

この79年は、ジョニ・ミッチェルが「ミンガス」というアルバムを出し、クリーブランドにも来ました。

このコンサートにも行きました。

横で、エレキベースを弾いているのが、えらく気になりました。不勉強で恥ずかしいのですが、ジャコ・パストリアスでした。ウェザーリポートの。

メインのジョニ・ミッチェルも良いのですが、やはりジャコ・パス、目立ってしょうがありませんでした。

 

コンサートが終わって、みんな車に乗って帰るのですが、すごい蛇行している車が混じったりしました。まあ、当時は飲酒運転は、かなり多目に見ているようでしたが、ラリ運転は取り締まって欲しいと思いました。

それでも大した危険なく、アパートにたどり着いていたのです。

 

一度した約束は死んでも守れ

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散歩に出て、交差点の青信号を渡ると、向こうの角に小学生くらいの子供が2人、自転車にまたがって信号待ちをしてました。

2人ともTシャツに半ズボン。

片方の子は、体が大きく、ズングリ太った子です。

そのブルーのTシャツの背中に、白い文字で何か書いてあります

 

一度した約束は

           死んでも守れ

 

すぐに、もう片方の子の背中をみましたが、こっちは普通にアルファベットで何か書いてあるだけ。

 

この背中、写真撮りたいと思った時には、あっち岸に渡ってしまいました。

ダメだな、自分。

あの写真、ブログに載せなくては。

お盆です

墓参りですね。一気に皆さん墓参りに来られますから、墓地内の道が凄いことになってました。

足羽山西側の墓地は下からずるっと上まで車が通れる道があるのですが、墓地内には、駐車スペースがほとんどありません。

従って、みんな一斉に墓参りに来ると、当然道路脇に駐車します。ずっと一通なのでなんとかなるのですが、くねくね曲がった道に駐車している車が並んだ中を走り抜けるのは、かなり気を使います。

と言いながら、うちも路駐して、墓に行き、汗をダラダラ流しながら草むしりをして、掃除して帰りました。

今年は、ちょっとずらしてお参りするつもりでしたが、やはりお盆を外すのは気が引けて。

だめだなあ。

 

 

そして、家内の父親の米寿のお祝い。

長男が帰省して、お盆の間にお祝いをしました。

孫3人に囲まれて、幸せなんだろなと思いました。

料理屋でしましたが、靴のまま上がる、テーブル席の個室で、すごく楽でした。

良いお祝いでした。

 

みんな同じ時期に移動するのが良くないんだけど、これ宗教的なナニなので仕方が無いのと、みんなが同じ時期に動くからこそ、みんなが集まる事が出来るんですよね。

 

 

 

USA13 あれやこれや

出来事ではありませんが、いろんな事を思い出して書きました。

 

スーパーマーケット


車で行けば、割合近くに大きなスーパーマーケットがありました。

 

牛肉ばかりのメニューになりますが、毎日自炊しました。

ステーキ、小さい肉のステーキ、カレー(ルーはオオムラさんで買います)、トマトシチュー、肉野菜炒め、たまにチャーハン、オオムラさんで買ったメザシ、卵焼き、メニューのバリエーションは少なかったですね。

それに、ハム。形がちゃんと決まっていないハム。美味しいハム。

牡蠣が手に入る時には、貝殻ごとオーブンに並べて焼きました。

でも、生卵かけご飯を久々に食べた時は、本当に美味しかったんですよ。

 

ああ、アメリカと思ったのは、このスーパーでオレンジの季節に、コーナーができて、力のありそうな女性が、手動式のオレンジジュースを絞る器械で力任せにジュースを作り、ボトルにいれて売っているのです。

価格が変動しましたが、すごく美味しかったです。

 

散髪

 

向こうの散髪屋に行けば良かったのですが、勇気がありませんでした。

で、自分で切ってました。

 

日本人のTは、すきバサミを持って来ていて、それを使って自分の髪を切ってました。

真ん中分けして、適当にやれば何とかなると言うのです。

そのすきバサミを一つくれたので、ぼくも自分でという訳です。

髪型も真ん中分けに変えました。

後ろから見ると、きっとひどいのでしょうけれど、まあ、自分は鏡で前しか見えないので気にしないことにしました。

 

テレビ

 

この前も書きましたが、よく見ました。

パンチDEデート」と言ってもわからない人が多いでしょうけれど、あれと同じような番組「デイティング・ゲーム」がありました。

それから、「クイズ100人に聞きました」も古くて知らない人が多いでしょうが、全くそっくりな番組がありました。と言うより、日本の番組が後から出来て、全くそっくりに作ったのです。司会の関口宏の話し方も、アメリカの番組の司会者の話し方と同じようなテイストにしてましたね。

 

こういうドラマでは無い、喋りの多いショー番組をよく見てて、出演者の言葉の使い方を覚えるのです。

意味に自信のない時は、翌日ELSの先生に聞きました。

時々、あまり覚えて欲しくない言葉の使い方があったりして、テレビで言葉を覚えるのは良くないなんて注意された事がありました。

他にはニュースやコマーシャルなんかもよく見ました。

 

映画館

 

時々観に行きました。

大学の中で上映される古い映画も見ました。

「エイリアン」がこの頃封切りになり、あのタイトルどう発音するのかな?なんて思ったりしました。

 

古い映画だと、「ミッドナイト・エキスプレス」を大学の映写会で見ました。

アメリカ人て、映画の最中に、思ったことを言うし、つまらないと「あーあ」とアクビのまねをしたり、途中で出て行ったり、面白いと拍手したりします。

「ミッドナイト・エキスプレス」で、冒頭、主人公がハシシを密輸する準備をしているシーンがあって、ハシシの大きな四角い塊を銀紙に包んで体に付けるのですが、後ろに座っている観客が「ハーシー・チョコレート」って言ったのが、全くその通りでした。

 

それからダウンタウンの映画館で、全く三流B級映画を観たことがありました。

ヒロインが悪者に囚われ、回転ノコギリに向かって運ばれていき、ああ危機一髪というところで、ヒーローが助けに来るのですが、そのシーン、劇場中が拍手と喝采で揺れました。

ああいう観方、好きです。

 

良い映画、ダメな映画、いくつか観ましたが、アメリカではロクでもない映画が掃いて捨てるほど作られているのが分かりました。

つまらないのはトコトンつまらないです。

 

面白い映画は、大量に作られる映画のほんの一つまみだけで、一定水準を超えたごく一部の作品だけが日本に輸入されて、ぼくたちが観てるんだなと分かりました。

 

正直、映画は英語的にかなり難易度が上がり、ジャンルによって、また俳優によって、言っていることがよく分からなかったりということもありました。

まあ、エイリアンなんて、英語わからなくても、画面と音楽だけで筋がわかるし楽しめます。

 

 

でも、日本でも映画を観に行って、良かったら、終わりに拍手するように観れたら良いなと思います。

子供の頃映画館に行った時は、そうだったんだけどなあ。

USA12 囲碁とサンドイッチ

コベントリーのコーヒーショップには、けっこう通いました。

ジェローン以外にも碁をする人は何人かいました。

日本では知らない人と碁を打つなんてしないのですが、いろんな人と対局して、いろんな話をしたりして、これ遊びながらの英語の勉強でした。って、言い訳ぽいですね。

たまにチェスもやりました。

 

そういう人達から、パーティに誘われたりしたこともありました。

夕方、まだ明るいうちから皆集まりだして、庭に大きなスピーカーを持ち出し、ロックをガンガン鳴らし、ビールなんぞを飲みます。

そういう感じのパーティです。

全部、ぼく一人で行動してたのは、良かったなと思います。日本語使いませんから。

 

 

 あ、ちょっと話が変わりますが、コベントリーをウロウロしてて、お腹が空いて、何か食べたくなった時に、一本西の道にデリカテッセンがあったのを思い出しました。

 

店に入ると、頑丈そうなおばさんがいました。

そこらを見渡しているうちに、サンドイッチを頼むことにしました。

ハムとチーズのサンドイッチ。

おばさんは、うなずいて、成形でないハムと、大きなチーズのかたまりを冷蔵庫から取り出し、回転式の電動カッターのスィッチを入れて、どんどん削り出しました。

けっこう時間がかかるし、ぼくの注文以外のこともしているような気がしました。

お母さんに連れられて、店に入ってきた小さな子に、削ったハムを一枚やったりして、だいぶ待たされたのですよ。

ちょっとイラつきました。

どんだけ削るんだ。

 

でも、結局、その削った大量のハムとチーズは、全部二枚のパンに挟まれて、ぼくの手に渡されたのです。

これだけの量のハムとチーズが、一つのサンドイッチに投入されるのは、その時点のぼくの常識をはるかに超えていました。

これなら、これだけ時間がかかって当たり前でした。

おはさんごめんなさい。

 

サンドイッチは、すごく美味しかったのを憶えてます。

 

USA11 コベントリーのコーヒーショップでジェローンに会う

ぼくの住んでいたアパートの前を走っている道を東に行くと、コベントリーという通りとの交差点がありました。

この交差点を右に曲がった辺りは、変に小洒落た感じの一帯でした。と言ってもクリーブランドなんですが。

レコードショップやヘッドショップなどがあり、なんて言えば良いんでしょうか、若い失業者連中というか、ヒッピー(古いですね)みたいな人達の溜まり場みたいな感じでした。

 

その中にコーヒーショップがありました。

ぼくは初めてこの一帯をぶらついた時に、その店に入り、コーヒーを頼みました。

カウンターの中には、口髭のある背の高い黒人が入ってました。

コーヒーをもらってお金を払う時に、その黒人が、「お前、日本人か?」と聞くのです。

そうだと答えると、囲碁をするのかと聞くのです。

ルールを知っている程度だと答えると、囲碁をしようと言って、店の奥に案内されました。

ドアを開けると広い部屋に、テーブルセットに碁盤がいくつか、チェスのセットがいくつか置いてありました。

その黒人は、ジェローンと名乗り、碁盤のある席に座りました。

 

彼は、この店には囲碁をするのが何人か来て、遊ぶのだと言うのです。

その中には、アメリカの黒人で当時ただ1人、三段の人もいるらしいです。

ぼくは、日本で飲み友達とものすごく下手くそな碁を何回かやったことがある程度です。

 

ジェローンと碁を打ってみました。

ぼくよりも強いです。

それでも、彼は、日本人のぼくを常連にしようと目論んでいたのか、やたら親しくしてくれます。

結局、ぼくはそのコーヒーショップの常連になっていました。

 

ジェローンは、昭和の名棋士坂田栄男九段の書いた本の英訳を読んで勉強しているらしいです。

坂田栄男氏は囲碁に関してさまざまな本を書いていますし、入門者向けの本も書いています。

ところで、坂田氏の栄男という名前、EIOと母音が並んだ名前は、アメリカ人にとっては手強い発音らしく、エイオとは言えず、なるほどと思うような発音でした。

 

 

 

 

幽霊橋、本当は御廊下橋

福井城址の西側に山里口御門という門があり、そこから濠を渡る御廊下橋という橋がかかっています。


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この橋と門は最近復元されたものです。

 

ぼくが子供の頃は、この橋はみすぼらしいもので、ぼくたちは幽霊橋と呼んでいました。

その呼び方には、まことしやかなお話もくっついていまして、要するに何故幽霊が出るのかという話です。

当時は山里口御門も、そんな名前には似合わないような汚い木の門でした。

で、この門を入って、左にある石の階段を登ると古い汚い井戸がありました。

この井戸に、殿様に斬り殺されたお女中が投げ込まれ、その幽霊が井戸から出て橋の上に出ると言うのです。

 

当時汚かったその井戸は、今では綺麗にされて、横に説明看板が立ってます。

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あ、幽霊の説明ではなく、この井戸が福の井と呼ばれる井戸で、福井という地名の元になったとかいう説明です。

 

戦争時の空襲、福井地震などで、井戸、門、橋が損傷し、おそらく綺麗に復元する予算もなかなか無かったのでしょうか、バカな子供達が変なこと空想して遊ぶネタにされてたんです。

 

幽霊橋、本当は御廊下橋のたもとで、子供の頃は、小さな鮒を釣ったり、ザリガニ採りをしていた憶えがあります。

申し訳ありません。